第25回
2016.11.16
マナビラボ開設もうすぐ1周年!
「授業のひみつ」取材班がふり返るアクティブラーニングのポイント
「型破り」な先生、触発するモノ
他に、アクティブラーニングの授業をされている先生たちの特徴はありますか。
一般的な教師像から少しズレた方が多いですね。多分、ティーチャー・プルーフな教え方(どんな教師がやっても同じ効果を見込める教え方)ではないからということじゃないかと思います。黒板は3分の1ずつ使ってこういう内容を書いて、教科書はこう読んで、この内容ではこういうことを解説して、そのときに誰を指名してというような、「誰であってもこうやれば授業になるよね」ということをできるのが「先生っぽい人」の既存イメージだとすれば、そうじゃない人が多いなと思うんです。
そうですよね。先生方とお話してみると、教師がアクティブラーニングにおいて何を押さえなきゃいけないかというのは、アクティブラーニングをされている先生方の中でも、すごく立場が分かれるところだと思うんです。だから、むしろポイントになるのは、何を手放すかということなのかなと感じます。もしかしたら、堤さんがおっしゃった変わった先生というのは、「教師らしく」振る舞うことや、教えなきゃいけないことを実直に押さえようということから、一度自分を解放している先生ということなのではないかと。
良い意味で型破りな先生ということですね。先ほどICTの話が出ていましたけれど、先生だけでなく授業の特徴という点について何か具体的に共通点はありますか。
そうですね、繰り返しになりますけど、ICTについてはあったらあったでいろいろ可能性が広がるんだろうけれど、ないならないでもできる先生も多いだろうなとは思います。あと、きっと先生がICTの端末の使い方を熟知するより早く、生徒のほうが自由に使いこなして、予想もしなかったような使い方をしていくようになるから、それをコントロールしようとしたら大変だろうなと思います。
それは、最初に出ていた、先生と生徒の関係が組み替わるという点にもつながっていますか?先生が「生徒に教えてもらえばいいや」と思う人だったら、多分ICTも使いこなしていくけれど、自分のほうが優位に立っていたい人はむしろいつまでも使いづらい、というような。
まさに、その通りだと思います。
ICTを使えば、アクティブラーニングっぽくなるというのは、それはやっぱり違うかなと思うし、使ってる先生方もそういう意図で使ってはいないと思うんです。
ICTを含めてですけれど、先生の側に最初からねらいがあって、それを達成するためにモノを使うというよりは、モノのほうが最初にあって、これどうやって使ってみようかなっていうので授業が変わってしまうという、そういう挑戦の仕方もあっていいのかなって思っていて。モノの側から触発されて授業が変わる、というか。群馬県立渋川女子高校の青木瑞代先生のホワイトボードを使った授業も、そういう側面があったのかなと。
そう考えると、新しいモノを使えばそれでいいというわけじゃないけれど、すごい抵抗を感じる必要もないのかなと思います。失敗しても積極的に使ってらっしゃる先生方は、そういう意味でも、これまでの型に固執しないようなタイプの先生ということで目立つのではないでしょうか。
>>次ページ まだまだ「授業のひみつ」が知りたい!