マナビラボ

第7回

2016.02.17

「デカルトみたいに
とりあえずなんでも疑ってみよう」

自分の言葉で「哲学」する力を育む「哲学対話」-前編

対話だけで進める倫理の授業

扉を開けると、教室には机がなく、あるのはクラスの人数分、部屋いっぱいに円形に並べられた椅子だけ。生徒たちは、思い思い好きな席に座っていく…。神戸(ごうど)和佳子先生の倫理の授業はこんな光景から始まる。この教室で、生徒たちは対話しながら自分の言葉で「哲学」を学ぶ。

08055552ここは、東京都文京区にある私立の東洋大学京北高等学校(以下、京北高校)。その歴史は古く、前身は哲学者井上円了が明治時代に創設した京北尋常中学校だ。東洋大学を創設した井上円了による建学の精神「諸学の基礎は哲学にあり」が教育の軸となっており、「哲学教育」をその特色の一つとしている。

哲学の名著を読みこむ「名著精読」、様々な方を講師として迎えて講演を聞き、「生き方」について考える「生き方講演会」、「哲学エッセーコンテスト」、実際の裁判を傍聴する「刑事裁判傍聴学習会」など、学校として様々な取り組みがなされているが、授業のカリキュラムの中にも、「哲学教育」が組み込まれている。その一つが、高校1年の必修科目「倫理」。この倫理の授業で、神戸先生が取り組んでいるのが正解のない哲学的な問いをクラス全員で対話する中で考え深めていく「哲学対話」を取り入れた授業だ。

取材に訪れた11月26日の3時間目の授業は、前回の授業で学んだ内容について復習するところから始まった。「ここのところずっと、『正しい知識を得るには?』という問いについて考えてきて、先週は『帰納法』と『演繹法』についてやりました」と、まずは先生が立ち上がり、黒板を指しながら解説する。生徒たちは教科書やノート、筆記用具は持っているが、机が無いこともあり、板書を書き写すというよりは、聞きながら配布されたプリントにメモをする程度だ。

「具体的な事例をいっぱい集めてきて正しいことが分かる、というのが『帰納法』だよね。でも、全てを調べきれないから100%正しいと言えないのが弱点。一方、『演繹法』では、数学の公式みたいに絶対正しいと分かっていることが先にあって、そこから問題を解いていく、というやり方。でも、公式が間違っていたら答えも間違えちゃう。じゃあ、絶対確実なことって何だろう?このことを考えたのがデカルトでした」。「帰納法」「演繹法」も、神戸先生はあくまでも平易な言葉で説明する。

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「じゃあ、デカルトはどうやって絶対確実なことを探そうとしたのだっけ?」生徒から声が上がる。「とりあえず疑ってみた」。「そうだね。とりあえずなんでも疑ってみることを『方法的懐疑』と言います。前回、みんなで絶対確実と思われることを疑ってみて、最終的に見つけたのは?」「疑っている自分がいることは疑いない、ということです」別の生徒が答えた。「そうですね、『我思うゆえに我あり』です。思い出した?」前回の授業で、生徒たちはデカルトと同じ方法で、「正しいこと」「真理」を突き止めるため、デカルトと同じように考え、「我思うゆえに我あり」にたどり着いた。「哲学を学ぶ」というよりは、対話しながら「哲学者のように考える」のが、この授業の特色だ。

神戸先生が話す間も、教室のムードはゆるく、常に誰かが話す声がして、ざわついている。それは、テーマに関する話題であったり、全く関係のない私語であったりもする。しかし、神戸先生は気に留めることなく、問いかけながら授業を進めていく。

 

涙を流すロボットはつくれる?

「『我思うゆえに我あり』でめでたしめでたし、となれば良かったのですが、そうはいかなかったのです。今日はその続きの話をします。『私なんていないかもしれない』とどれほど疑ってみても、そう疑っている私が確かにいる、ということでしたが、じゃあ、その『疑っている私』って何?どこにいるの?ということです」神戸先生が生徒たちと同じ輪の中に座ると、ざわついていた教室が急に静かになり、生徒たちは一斉に先生を見つめる。

「デカルトは『疑っている私』と今、ここにある『私の身体』は、どう関係しているのか?ということに、答えてくれていません。そこで、みなさんに考えてもらいたいと思います」教室は静まりかえっている。沈黙が続き、誰も言葉を発しない。

神戸先生が「少し難しいので、質問を変えますね。心は身体のどこにあると思いますか?」と加えた。すると、教室はざわめき、生徒たちの中からぽつぽつと言葉が出てきた。「脳みそ。考えるのは脳だから」「なるほど。では、脳にあるとしたら、脳のどこにあるんですか?」生徒から様々な意見が飛び出す。「うーん、小脳とか?脳下垂体とか?どこだろう?」「特定の場所じゃなくて、脳の働きなんじゃない?」

「脳以外の場所だと思う人は?」神戸先生が問いかけると、「心臓だと思う!なんとなく、ハートは心臓ってイメージ」と1人の女子が答える。その間も、あちこちで隣同士、活発に話し合う声が聞こえている。

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「他にどうですか?今そこで話していたこと言ってみて?」と、生徒に発言を促すと「思い出は脳にしまわれている。手や足が失われたとしても記憶は失われない、とすると、やはり心は脳にあるのでは」という話が出てきた。「記憶は海馬にあるんだよね」と別の生徒が補足する。

「記憶ね。コンピュータにも『メモリ』がありますよね。では、『メモリ』にあるコンピュータの記憶と『脳』にある人間の記憶は同じですか?」という問いかけに、女子生徒が「コンピュータは全部覚えているけど、記憶は自分にとって大事なことだけを覚えていて、後は忘れる」と答えると「オレは嫌な思い出しか覚えてないよー」という声が上がり、笑いが起きる。すると、笑いながらも首をかしげていた生徒から「記憶が心、というわけじゃない。認知症で過去の記憶を失くした人にも心はあると思う」という意見が出て、「心というのは、記憶ではなくて感情では」という発言が飛び出した。

「今、感情という言葉が出ましたが、では感情はどこにあるの?」一瞬静まり返った教室で「悲しいときは涙が出る」とポツリ。「じゃあ、悲しくて涙が出るようなロボットは作れる?」神戸先生は、少し大人しそうな男子生徒がなにか言いたげにしている様子を察知し、「コミュニティーボール」と呼んでいる毛糸玉を放る。男子生徒はもじもじしながら「人によって、なにを悲しく思うかは違う。オレのばあちゃんが死んでも、他の人にその悲しみは分からない。だから人間と同じように悲しむロボットは作れないと思う」と発言。

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「たしかにそんな気がしますね。じゃあ、それでもやっぱり、悲しくて涙が出るようなロボットを作れると思う人?」という問いかけに手を挙げた生徒が「siriというi-phoneの機能があるのですが、いろんな質問にまるで人のようにリアルな答えをするので話題になっています」生徒たちに身近なスマートフォンの話題となり、教室中がざわつきはじめた。

「そうですよね、siriをさらに細かくプログラミングすれば、人間と見分けのつかないほど『心を持ったような』ロボットができるかもしれません。そうなったとき、みんな、隣の人がロボットでないと言いきれるでしょうか…?では、ここで今日の授業を終わります。また来週」と、なんとももやもやした終わり方で授業は終了。生徒たちは「心身二元論」にたどり着いたデカルトと同じように、「人間とはなにか、自分とはなにか」という、考えてもすぐには答えが出そうもない問いを抱いて教室を後にした。

(取材・文章:井上佐保子)

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記事末に載せる学校紹介用

私立東洋大学京北高等学校は、東京都文京区に所在する共学普通科の併設型中高一貫教育校。2015年より東洋大学の附属校となった。東洋大学の創立者である哲学者井上円了氏の建学の精神「諸学の基礎は哲学にあり」を受け継ぎ、「自己の哲学(人生観・世界観)を持つ人間を育成する」ことを目指している。

  • 撮影

    山辺 恵理子

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