マナビラボ

第15回

2016.06.22

「想像、創造、捏造」で
古典を今に甦らせる!

都立日野台高等学校・佐々木宏先生の古典の授業【前編】

 

古典を生き生きと甦らせる

東京都立日野台高校は多摩地域の南部に位置する。文武両道を重んじる同校は、国公立や難関私大を目指した高い進学目標を掲げると同時に、部活動や学校行事にも力を入れている。なかでも6月に行われる合唱祭は生徒たちが最も力を入れている行事の一つであり、全クラスがアカペラ合唱に挑戦するのだという。取材に伺ったのは2月19日であったが、この日も休憩時間にオルガンを囲む生徒たちの姿が見られた。

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お邪魔したのは、佐々木宏先生の古典の授業。この日の題材は『平家物語』の一節「木曽の最期」であった。佐々木先生の古典は音読ではじまる。授業がはじまるとさっそく生徒たちは2人で一組となり音読をはじめる。一般的な古典の授業で中心となるような文法や語彙の確認は自学用のプリントを使って各自で行うのが基本だ。授業では教科書の他にワークシートと振り返りシートが使われる。クラス全体で授業の目標を共有すると、さっそく音読がはじまった。

今回の音読のポイントは琵琶法師が語っているような「臨場感」。「同じ人物の発話は長くても切らずに読むように」との指示が出された。生徒たちはすでに学んだ文法事項をてがかりにして文章の切れ目や発話者の移り変わりを確認しながら2人組での音読を進めていく。

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教室が再び静かになると、本文の記述から読み取れる登場人物の立場や、それぞれの人物が置かれている状況を確認する時間がとられる。分からないときには周りの生徒に質問しながら、各々が自分のワークシートを完成させていく。大体4人一組で机を合わせた形が、グループワークの場面だけでなく、こういったゆるやかな聴き合いの場面にも活かされている。佐々木先生の授業では「話す・聴く・質問する・説明する」の四つが「態度目標」と示されているが、そこで想定されているのは基本的に生徒同士の関係であるようだ。話し合いの最中に先生が声がけすることはほとんどない。生徒たち、お互いに聴き合い、確かめ合いながら物語を読み深めていく。

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登場人物の関係と物語のあらましが共有されると、木曽義仲が敵方の大軍勢に取り囲まれ、残り五騎にまで追い詰められる絶体絶命の場面にフォーカスが絞られる。源氏同士の壮絶な争いの情景を描きなおし、その渦中にいる木曽義仲と彼に付き従う巴御前の心情に迫るのがこの教材の課題だ。そのために、生徒が二人の関係と置かれた状況をどれだけリアルな感覚で捉えられるか、佐々木先生のねらいは徹底してこの点にある。佐々木先生の授業では、古典を読むということはそれを現代語に翻訳できるということにとどまらない。だれも目にしたことのない過去の出来事をいまここに再現することが佐々木先生の古典での試みである。とはいっても、古典は遠く離れた大昔の出来事を描くものである以上、いまここで起こっているかのように描きなおすのは容易なことではない。ここで、過去と現在のあいだを架橋するキーワードとして佐々木先生が生徒に提案するのは「想像・創造・捏造」である。

 

合言葉は「想像・創造・捏造」

実際には目にしていない「木曽の最期」を思い浮かべ(想像)、物語を自分たちのことばで新しく語り直す(創造)。ここまではいわゆる現代語訳の範疇であろう。問題は「捏造」である。「「捏造」、どういう意味か分かる?」と佐々木先生が尋ねると、「事実をねじ曲げること」「でっちあげ」という声が返ってきた。正確に訳すことが何よりも優先される古典の授業では、「捏造」などもってのほかと思われるだろう。しかし、正確に翻訳することと、事実をねじ曲げているかどうかはそれほど直接に結びついてはいない。そもそもすでに『平家物語』自体が誰かが語り、それを他の誰かが語り直すことでいまに伝わるものとなりえた。物語は、誰かの想像力を掻き立て、創造意欲を呼び起こし、そしてある種の「捏造」を許すことで人々に読み継がれることで「古典」となる。佐々木先生はあえて「捏造」を持ち出すことで、生徒たちを鎌倉時代からつらなる『平家物語』の一番新しい読み手の一人にしようというのである。

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グループワークを通じて、追い詰められた木曽義仲と巴御前の状況をつかんだところで、授業は核心に向かって進む。佐々木先生が準備した本時のメインワークは、物語に描かれている木曽義仲の人物像を「想像・想像・捏造」することである。まずは、グループごとに義仲の人物像を思い描き、それを思いつくかぎりで出し合う。2分もしないうちに、ポストイットに書き込まれた人物像の断片が、机のうえに次々と張り出されていく。「酒好き」「顔がでかい」「優しい」「武士道精神がある」「男前」「ジャイアンみたい」などなど…。次に、書き出されたイメージの中から、みんなに紹介したいものをチームで1つ選ぶ。生徒の頭がきゅっと集まり思考が集中する。1分後、選んだ木曾義仲のイメージをチームごとに発表していく。生徒たちが思い描いた義仲像はどれもユニークで、感覚的に捉えられた人物像がよりいっそう想像力をかきたてる。佐々木先生は、矛盾するようなイメージもそのまま人物の全体像に反映させる。「相反する特性が入っていてもかまわないんです。人間ってそういう複数の、ときに相反する特性を合わせ持っているものだと思うので」。こうして出来上がった「1年7組の木曽義仲像」を思い描きながら、絶体絶命の場面で義仲が巴にかけた言葉の一部を現代語に書き起こすワークに入る。

「義仲のイメージを思い描きながら、現代口語にゆるやかにリライトしてください」。佐々木先生の求める現代語訳は一風変わっている。「正確な訳を求めていません。自分が義仲になったつもりで、この場面で巴にどう語りかけるのか、普段自分が使っている言葉で書き直して下さい。」ここにも、想像・創造・捏造が導入されている。自分が書き直したものを周囲の生徒同士でシェアした後、授業のしめくくりのワークであるロールプレイに入る。「皆さんは馬に乗っています。周囲は敵に囲まれ残っているのは五騎だけです。一瞬戦いの隙間のような瞬間が生まれました。義仲になったつもりで、自分が書いた言葉を巴に伝えて下さい。3人の巴に伝えたら席に戻って下さい。では全員立って下さい。」生徒が一斉に立ち上がり、教室中で木曽義仲と巴御前のやりとりが再演される。「悲運の武将」というイメージに還元できない多様で豊かな人物像を「想像・創造・捏造」しながら、生徒たちは思い思いに木曽義仲の最期を演じていた。

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生徒を授業の観客にしない

佐々木先生がアクティブ・ラーニングに取り組むようになった背景には、生徒が授業の「観客」になってしまっていることへの危惧があったという。なぜ、生徒が授業の「観客」になってしまうのか。佐々木先生は、文学作品には特定の「真理」や「正しい読解」があり、その「真理」に向けて教師が生徒を導くという前提がその要因になっているのではないかと言う。作品の「真理」を頂点として、教師から生徒へと降りていく「知の伝達システム」を組み換えないかぎり、生徒はつねに「観客」の位置に置かれ続けてしまう。では、国語教育を規定している「知の伝達システム」をどうすれば組み換えることができるのか。知識伝達のヒエラルキーを揺るがすために、佐々木先生が導入したのが「想像、創造、捏造」である。

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従来の国語教育が、「正しい解釈」によって、作者が作品に込めた「真理」に近づくことを是としているのに対し、佐々木先生が提案する読解は、「一つの正しい解釈」を前提としない。むしろ、作品の解釈は様々に可能であるし、作者もまた自分の作品の「正しい解釈」を知らないということを出発点として授業を組んでゆく。そうすることによって、生徒は知識伝達のヒエラルキーの末端から、新たな知を生み出す主体へと解放される。「木曽義仲の最期」を「想像、創造、捏造」する生徒たちは、文字通り「役者(actor)」として、古典に新たな解釈を生み出す主体(actor)となっていた。佐々木先生のアクティブ・ラーニングの挑戦は、教育実践を根強く規定している知識伝達のヒエラルキーへの挑戦なのかもしれない。その先にどのような教育のこれからが見えてくるのか、佐々木先生にお聞きした。

 

>>後編につづく

 

都立日野台高等学校は、東京都日野市に所在する創立37年の高等学校である。『叡知・情操・健康』を教育目標とし、学習にも学校行事・部活動にも全力で取り組む姿勢を育んでいる。

  • 取材

    田中 智輝

  • 撮影

    松尾 駿

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