第49回
2018.08.08
オーディエンスの心を捕らえる
前編
今回のぞかせていただいたのは、クラスのほとんどの生徒が部活動に所属し、日々の厳しい練習に励み、各種大会で成果を挙げている山梨学院高等学校・鳥居英之先生の授業。修学旅行の事後学習をアクティブラーニング的にやってみるのだという。修学旅行の事前学習はよく聞くけれど、事後学習とはどのようなものだろう?
授業の前に、鳥居先生に見学させていただくクラスの特徴について聞いてみた。
–どんなクラスですか?
鳥居先生:穏やかで明るいクラスですね。40名のうち男子が23名、女子が17名です。女子の人数は男子よりも6名少ないのですが、女子がクラスの雰囲気をリードしてくれている、といった印象です。強化指定部(野球部・サッカー部・駅伝部・空手部など)に所属し、全国大会出場ひいては全国優勝をめざしている生徒がこのクラスの大半を占めています。授業後、生徒たちはみんな各部活動の練習場へ一斉に移動していきます。他の高校ではあまりないことかもしれませんが、放課後には学校から生徒がいなくなってしまうんですよ。
本日の授業は、4ヶ月前に実施された研修旅行(修学旅行)の事後学習の成果発表の回。授業の記録用にレコーダーを設置させてもらうと「俺の声めっちゃはいるじゃん!」生徒たちはニヤニヤガヤガヤ。たしかに、とても人懐っこくて明るい雰囲気のクラスだ。しかし、鳥居先生もおっしゃっていたように、部活動で放課後の時間が使えない生徒たちにとって、授業時間だけで学習成果の発表準備までを終えるのは至難の技・・・。
授業開始の時間になると、それぞれの班が事後学習の成果として作成した班新聞が一枚ずつ配布された。どうやら、すべての班が限られた時間の中で仕上げてきたようだ。
号令のあと、鳥居先生の指示で、生徒たちは机を移動させ、6つの島をつくる。研修旅行の班ごとにまとまっている。班の代表者が前に出てきて、ジャンケン。発表順を決め、さぁ、いよいよ発表がはじまる。
「私たちは長崎市について調べました・・・。長崎市に行ったらぜひ行って欲しいところを私たちが行ってきた経験をもとに紹介します。長崎にはグラバー園や出島のような有名なスポットが多くありました。その中から今回は3つ取り上げます。一つ目は如己堂です。如己堂は1948年、医学博士であり随筆家である永井隆さんのために、カトリック教会や浦上の方々の協力によって建てられました。永井さんは原爆の被害により白血病にかかりその療養を如己堂で行いながら、有名な作品の数々を生み出しました。実際に行ってみてAくんどうでしたか?」
「実際に見てみて、思ったよりも小さくてここで3年間執筆活動をしていたのは驚きました。」
「二つ目は浦上天主堂です。戦国時代のときからキリシタンの村であった長崎市の浦上では信者たちにより「神の家」として天主堂が建てられました。・・・また、ここでは熾烈な拷問が行われていて、それに使われていた石などが現在も置いてあります。・・・実際に行ってみてFさんどうでしたか?」
「ステンドグラスがとても綺麗でした。そんな綺麗なところで拷問されていたことを知り、とても驚きました。」
質疑応答を組み込んだスタイルで発表したこの班は、長崎市の地理的特徴からはじめ、実際に自分たちが長崎市に行ってみて選んだオススメのスポットを中心的に紹介した。発表に合わせ、アシスタントが、ちょうど話題になっている場所やものの画像を書画カメラを通して、プロジェクターに投影した。書画カメラに映された画像は、スマホに保存した写真やパンフレットの写真だ。
「さて、発表してもらいましたが、長崎は実際君たちも行ってきた街なので思い出すことがいくつもあったと思います。自転車が極端に少ない街であること、坂だらけだからだよね・・・」。鳥居先生はそれぞれの班新聞の内容に合わせて、情報の補足する。「研修旅行に行く一番の目的は平和学習です。主に、二日目に平和関係のところを巡りました。旅館を出発して、平和公園に向かいましたね。この二日目のことどれくらい思い出せたでしょうか。」研修旅行の主な目的は平和について学ぶこと。事前学習では、原爆について調べることが必須課題とされていたようだ。そのうえで取り組まれた事後学習では班新聞のテーマとして、改めて、原爆の脅威などについて取り上げる班もあったが、「長崎」という街を中心に、文化的、歴史的、国際的観点から班新聞の内容を深めていった班も少なくなかった。たとえば、グラバー園に注目する班があったり、中世・近世にまで遡って長崎について検討する班があったり、貿易という視点から出島を取り上げる班があったり。中には、班新聞にはまとめきれなかった情報を発信する班も・・・。
「ここ(配布された班新聞)には載っていないんですけど、軍艦島が最近有名になっていているということで、軍艦島を紹介します。軍艦島は正式名称を端島と言って・・・明治から昭和40年頃まで炭鉱島として栄え、当時人口密度が東京の9倍と言われていて、めっちゃ窮屈だったんだと思います。1974年に炭鉱が閉まっちゃったから、もう人は入れなくなっちゃって、今は無人島となっています。今は廃墟となっているのですが、暮らした跡が残っています。鉄筋コンクリートの集合住宅、小中学校、病院、商店、映画館、パチンコホールとか。映画『進撃の巨人』のロケ地ともなっています。・・・」
班新聞にまとめたことに加え、最近注目されている「軍艦島」を取り上げたことは、聞き手の生徒たちの関心を引いていた。発表を聞きながら、生徒の一人が自分のスマホを取り出し「軍艦島」を検索して、隣の生徒とその画像を見ながら一言「ほんと廃墟みたいだな」。一見すると「軍艦島」を取り上げたことは即興のようだが、実は発表者の手許には「軍艦島」についてのメモが用意されていた。聞き手の心を捕らえ、クラス全体の温度をグッと上昇させる。即興というよりは、むしろ用意周到だ。
授業終了後、鳥居先生にお話を伺った。後編に続く!
1946年山梨実践女子高等学校として創立して、1962年に山梨学院大学附属高等学校と校名を変更。2016年に山梨学院高等学校に校名を変更し現在に至る。「品格品性に富む豊かな心を涵養し、気魄をもって広く世界に知を求め、輝かしい未来を拓くたくましい人材の育成」を建学の精神として掲げ、山梨学院大学・山梨学院短期大学への進学だけでなく、国内・海外の大学への進学にも力を入れている。
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取材
田中 智輝
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取材
渡邉 優子
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撮影
町支 大祐