マナビラボ

第33回

2017.05.03

おもろい学びは教科を越える

ほんまもんに触れる古典の授業 [後編]

「ほんまもん」に触れることから「おもろい」学びをひらく、京都教育大学附属高等学校の札埜和男先生。想像力を駆使して、明示的には書かれていないものを読み解く論理的な力を養う国語科の授業は、「国語科」という枠組みにとらわれない。「おもろい」学びの核心を探るべく、札埜先生にお話しを伺った。

 

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「はじまり」をどのように準備するかがおもろい学びのカギ

−−−−− 「古典探究」の授業とお聞きしていましたので、落語家さんが登場したことに驚きました。まずは、今回の授業のねらいについてお聞かせください。

 

札埜先生:今回の授業に関しては第一のねらいとしてはほんものに触れるということがあります。今回は、古典落語ということで矢野さん(芸名:爪田家らいむさん)に来ていただいたのですが、ほんものに触れることからはじめるというのは重要だと思っています。これは第二のねらいにもつながるのですが、「古典探究」において文化的背景について知ってほしいという思いがあります。しかもそれを実感をもって学ぶことができればと。古典落語というのは、そうした文化的背景を学ぶのにうってつけの題材でした。ほんものに触れて、そこから文化を知り、体験する。本時のねらいはそんなところでしょうか。

 

−−−−− 古典落語を体験した本時の授業の後にどのように単元が展開していくのか、とても気になります。

 

札埜先生:先ほど私は「本時のねらい」についてお話ししましたが、何を学ぶかということに関してはその到達点みたいなものを先取りしてしまうと全然おもしろくない。あらかじめ定められたゴールがあって、それに向けて予定調和的に進む授業なんておもしろくないでしょう。正しい「答え」みたいなものがあって、それに向けて学ぶというのではなくて、答えのない問いに向けて学ぶというのでなければおもろい学びは生まれないと思います。

 

−−−−− なるほど、ひとつの「答え」に向かって段階的に学ぶというより、「問い」が生まれるから学びが駆動していくという感じでしょうか。そこでお聞きしたいのですが、学びを駆動するような「いい問い」とはどのような「問い」なのですか?

 

札埜先生:そうですね、難しい質問です。少なくとも、一面的な見方からは出てこない問いですかね。ひとつの視点から見ただけで「答え」のようなものが見えてしまっては、「問い」は生まれないと思います。例えば、夏目漱石の『こころ』を題材にしたとしても、文学、歴史学、地理学、あるいは法学などいろんな視点から読み解くことができます。実際に、「Kが自殺したときの机の位置はどこか?」という問いを立てて授業で分析してみたことがありました。それぞれの生徒の読解によって何通りもの机の配置が考えられるんです。『こころ』の授業が終わってから、ある生徒が法医学の専門家にも話を聴いてみたいと言ってきて、ある法医学者を紹介しました。その専門家の先生は、同じテーマで学術論文を出されている方でもあり、生徒はとても驚いていました。問いに導かれたおもろい試みだったと思います。

 

−−−−− あらかじめ想定された「答え」だけではなく、教科の枠組みを超えた学びである点は、今回お伺いした「古典探求」の実践とも共通していますね。

 

札埜先生:深く学べば学ぶほど、勝手に教科の枠組みを超えていくものなのだろうと思います。なので、教科横断を目指すというよりは、はじめからあまり教科という枠組みにとらわれない方がいいのかもしれません。

 

おもろい学びは偶然から生まれる

 

−−−−− 講師を招いて授業をされるようになったきっかけやそのねらいについて教えてください。

 

札埜先生:ほんまもんに触れてほしいという思いがあったことについては少しお話しましたが、授業に講師をよんだときに、何というか、教室での学びが立体的になったような感覚を覚えたのがきっかけです。複数の視点が生まれるということでもあるし、学外の方が来られることで生徒と教師、生徒同士の関係も変化したという感じでしょうか。

 

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−−−−− 一方で、講師を招いて行う授業ばかりではないと思いますが、例えば既習事項の確認であったり、試験を想定した演習を中心にした時間との接続はどのようにされているのでしょうか。

 

札埜先生:「ハレの授業とケの授業」という関係でイメージしていただければいいかと思います。ゲスト講師を招いて行う「ハレの授業」もあれば、「ケの授業」もある。とはいっても、他教科の先生に来てもらって授業をすることもよくあります。できるだけ楽しめるような工夫をします。例えば、ちょっと仕掛けをしといて、「こんなときに日本史の先生がおったらなぁ」というタイミングで日本史の先生に教室の前を通りかかってもらって。仕込みをしてあるので、もちろん完全な「偶然」とは言えませんが(笑)、そのような試みをすることで多様な視点を取り込むきっかけになればと思っています。

 

−−−−− なるほど、生徒の想定を裏切るような要素を取り入れるというのがポイントなのでしょうか?

 

札埜先生:先ほどもお話した通り、私は予定調和的な授業というのはおもしろくないなと思っています。答えのない問いというのがおもろいという話もしましたが、そういった問いは計画通りに出てくるようなものではありません。それはある程度偶然の産物なんです。私は教育の現場において「偶然」というのはとっても大事だと思っています。お呼びするゲスト講師についても、授業の中でいろいろと調べている過程で偶然出会った専門家の方だったりします。そういう偶然の発見や出会いがおもろい学びにつながっているように感じます。

 

おもろいことをとことん突き詰める

 

−−−−− いわゆる「正解」に向けた学習ではなくて、答えのない問いを中心に据えた授業づくりを意識されるようになったきっかけを教えてください。

 

札埜先生:私はもともと法学部で日本外交史や国際関係論に関する学問をしていました。今はこうして教職について国語科を担当しておりますが、文学への情熱のようなものが先にあったわけではなかった。その点では、国語科教師としてはそれなりに引け目を感じていた時期もありました。自分は「ぱちもん」の国語科教師やな、と。でも、おもろいことを突き詰めたいという思いは一貫してありました。

 

−−−−− 「正解」は一つに定めることができますが、なにをおもろいと思うかはひとそれぞれかと思います。札埜先生のおっしゃっている「おもろい」は誰にとっての「おもろい」なのでしょうか?

 

札埜先生:私ですね。問題演習を繰り返すような授業、自分が知っている「正解」を教えるような授業は、やっている私自身も退屈です。もちろん、私がおもろいと感じていることと、生徒がおもろいと感じることにはズレのあることがあります。「え、そんなんがおもろいん?」と思うこともあります。思わぬところで盛り上がることがあって、それもまたおもしろいですし、そういうきっかけは授業の展開に活かすようにしています。

 

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−−−−− それぞれの「おもろい」と思うことを突き詰めていく。そういった点では、研究者同士の関係に似たものがありますね。

 

札埜先生:そうですね。研究という意味では、京都教育大学との連携だけではなくて、研究者や専門家に意見を求めることもよくあります。

 

−−−−− 様々な分野の専門知を取り入れながらとことん問うからこそ、生徒の関心はちがってもそれぞれのおもろいと思うことを突き詰めていけるということなのですね。一方で、講師を招いたり、課外授業を行うとなると、なにか他の部分を手放さなければいけなくなるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

 

札埜先生:欲張りやからね、手放しはしないかな。「恥知らずな折衷主義」とでも言えばいいんかな、なんでも取り入れます。あらゆる手段をつかって問いに迫っていくことを大事にしています。もちろん、問題演習のような授業もやりますが、それにしても楽しめるような工夫は加えるようにします。

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−−−−− 札埜先生ご自身は、これからどのようなことに挑戦したいと考えておられるのですか?

 

札埜先生:それこそ欲張りやからたくさんあるんやけど、旧態依然とした国語の授業を変えたいですね。「読む」ということはもちろん大事にしながらも、扱う文章のテーマごとに関係するゲストを招いて一緒に読み解いたり、争点を考えていく授業、自分の造語で「臨床こくご学」と命名しているのですが、そんな授業を全国に広めたい。国語に限りませんが、授業構想にあたって「どんな力をつけさせたいか」については考えられていても、その先にある、「どんな生徒を育て」、「どんな社会を創っていきたいか」という視点が抜け落ちているように思います。今日見て頂いた次の授業では、弁護士さんをお招きして授業を行います。本時で披露していただいた「一文笛」を法律の観点から考えてみるという試みです。

 

−−−−− 拝見した授業では「一文笛」で用いられている古典落語の技法や所作が、当時の習慣・習俗に根ざしていることを知ったわけですが、次回以降は、法律といった全く違った視点から「一文笛」を読み解いていくことになるのですね。人間や社会事象への想像力を豊かにするという札埜先生のねらいが、「一文笛」という題材を通じてどのように結実していくのか、とても楽しみです。本日は、どうもありがとうございました。

 

札埜和男先生は2017年3月をもって京都教育大学附属高等学校を退職し、 同年4月より岡山理科大学教育学部中等教育学科国語教育コースに着任された。現在は、模擬裁判をはじめとする法言語教育、方言教育、臨床こくご学の立場からの国語科教育などの研究を進められている。

 

 

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京都教育大学附属高等学校は、京都市伏見区に位置する国立大学の附属高校。自由で穏やかな校風と輝かしい伝統を誇る同校では、研究に裏付けられた質の高い教育によって各界で活躍する多くの人材を輩出している。大学の実験・研究施設などを利用した自主的な研究活動の機会が生徒にも開かれており、大学や研究者との連携が進められている。

  • 取材

    田中 智輝

  • 撮影

    木村 充

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