マナビラボ

第29回

2017.01.25

自分の言葉で語るということ

英語を学ぶ、英語で学ぶ【後編】

自分の考えを、自分の言葉で語る。語られた言葉を聞き、受けとめる。そんな真の「コミュニケーション」からなる授業を展開されている、両国高校の布村奈緒子先生。「英語を学ぶ」だけでなく、「英語で学ぶ」ことを可能にする授業は、どのような思いから生まれたのだろうか。授業後、布村先生にお話を伺った。

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「自分は自分でいい」 一人ひとりの良さが生かされる授業

−先生がアクティブラーニングに取り組まれるようになったきっかけは何だったのでしょうか?

教員になって 15 年になりますが、その当初からディスカッションを取り入れた授業をしてきました。最近になってそれがアクティブラーニングだと言われて、「私がやってきたことは、アクティブラーニングだったのかな?」 と思っているところです。

さらに遡ると、私自身の 2 度にわたる海外での学びの経験がもとになっています。

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1 度目は小学校時代。当時は ICT もなければその他いろいろな条件も整っていませんでしたが、原点はそこにあると思っています。日本の小学校にいたとき、私はいわゆる「落ちこぼれ」だったんです。それが、英語がまったく出来ないまま、父の転勤でイギリスの現地校に通うことになって。その学校では、 例えばリーディングの授業などでもレベル別に分かれていて、一人一人のレベ ルに合った本を読み進める形で授業が進んでいたんですね。でも、見た目としてはレベルにかかわらずみんな同じことをやっているので、あまり劣等感を持ちませんでした。それと、私は絵が好きなんですが、例えばエリザベス 2 世のことを学習するとなると、美術の授業で彼女の肖像画を描くし、歴史の授業でもまずはノートに彼女の絵を描いてすでに知っていることを書く。次からは学 習した内容を書いていって、最後はエッセイライティング。今になるとこれが 教科横断的な学習なんだと思うんですが、全部がつながっていくんですね。文章が書けるということだけじゃなくて、絵が上手に書けるということでもきちんと評価されるんです。そういうことが学校の制度としてあって、とても楽しかった。語学の面ではそこまで習得できなかったけれど、4 年間通って「自分は自分でいい」ということを教えてもらった感じがしたんです。落ちこぼれではなくなって、自分を認めてもらえたということがすごく嬉しかった。それぞれの生徒を認めて、それぞれの良さを授業に生かしていく。「私がやりたい授業ってこういうことなんだろうな」と思います。

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実際、模試の結果とかではあまり芳しくない子があるテーマについて深い興味を持っていたりして、よく調べていたり、それを英語でどうにかして伝えようとしてくれるのを見ると嬉しいですね。「講義型の授業だったら 1 分で寝てしまうだろうな」という子が、アクティブラーニングをやっているとすごく生き生きしているんです。英語の授業ではあるけれど、必ずしも英語のスキルが高くなくても、その子なりの「視点」を持って授業に参加できる。同時に、自分とは違う視点を持った友達の話を聞いて、視野が広がる体験をしてほしいとも思っています。

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自分の言葉で、自分の考えを発信できるひとに −そのために必要なのは?

2 つ目のきっかけは、オーストラリアの大学院への留学です。大学院の授業はディスカッション形式で進むことが一般的ですけれど、オーストラリアの大学院ってほとんど留学生で、特にアジアからの留学生が多いんです。そうした授業を受けながら、「日本人はこれからこういう中に入っていかなければいけないんだな」と思ったんですね。つまり、ネイティヴ同士だけではなく、 ノンネイティヴ同士でコミュニケーションをとって、課題を解決していかなければならない場面がどんどん出てくる。そういう場面で自分の思いをきちんと発言できるようにならないといけないし、そういう子を育てたいと思いました。 私が出会った留学生たちは、文法はぼろぼろだし、発音も良くない人もたくさ んいるけれど、みんな自分の意見をしっかり言う。日本人の良さはもちろんあるけれど、語学の自信のなさでそれが表に出せないのではもったいないですよね。自分の言葉で自分の考えをきちんと発言できる人を育てたい。それが、ディスカッションをやりたいという思いにつながっています。

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いろんな国のひとと話すということは、自分を含めていろんな価値観のひとに出会うということなので、自分の価値観を伝えたときに、違う価値観のひとから「なぜ?」という疑問が必ず出されます。自分の意見を伝えるためには、 理由をあえて言語化して、相手に説明できるということが不可欠なんですね。 だから、「Why」を大切にしたい。言葉にしていないだけで、どんな意見にも理由はあります。厳しいようではあるけれど、私の授業では毎回「Why」を聞いています。もちろん、そのためには信頼関係が必要です。生徒の言ったことを 「正確さ」ではかっていたら、意見なんて出てきません。けれども、私が正確さではなくて「内容」に対してレスポンスしているのが彼らには分かっているので、「自由に意見を言っても大丈夫」「言おうかな」という気持ちになってくれているのかな、と思っています。

 

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その言語活動に「意味」はあるのか?  −「アクティブ」であることと思考の関係

−英語の授業では、生徒が「実際に言語活動を行う」という場面が多く、それだけでアクティブラーニングっぽいので、
かえってアクティブラーニングが意識されていないことが多いのではないかと感じています。
布村先生は、生徒が生き生きして学びが深まる授業をつくるために、どのようなアプローチをされていますか?

先ほども言いましたけれど、私はアクティブラーニングをやっているのか、私自身ずっと疑問に思っています。それは、自分ではコミュニカティ ブ・ランゲージ・ティーチング(communicative language teaching:以下 CLT) をやっていると思っているから。CLT というのは、メソッドではなく「アプローチ」だと言われています。まずはニーズ・アナリシス(needs analysis)、つまり「生徒に何が必要で何が必要でないのかを見極めること」を出発点とし、 その分析に応じて、生徒にいろんなアプローチをかけていいという考え方です。 つまり、メソッドではなくてアプローチだというのは、「こういう方法をとらなければ CLT にならない」というようなルールは特になくて、「生徒が変わればアプローチも変わる」ということなんですね。

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ただし、CLT には「意味のやりとり(negotiation of meaning)」という考え方が基礎にあって、それを必ず言語活動に入れなくてはいけない。これに対して、「うちは英語でやってます」という授業でよく見るのは、「リピート・アフ ター・ミー(repeat after me)」です。モデルとなる対話文をまったく同じように暗記してリピートする。ここにその言葉を発した「意味」があるかというと、 模倣しただけなので「意味」はないんですよね。そこに思考は生まれないんです。これはアクティブでもないし、コミュニカティブでもない。でも、ほとんどのひとは、これをアクティブとかコミュニカティブと勘違いしているんじゃないでしょうか。

CLT 以前にはドリル式のオーディオ・リンガル・メソッド(audio lingual method:以下 ALM)というのがあったんですが、「私は英語で授業していますよ」という日本の先生のほとんどは、ALM に基づいて授業しているんだと私は思っています。模倣して何度も繰り返して習得する。それもある部分では必要なんだけれど、でもそれだけでは思考とか判断とかそういうものはまったく生まれてこない。どんなに語学のレベルが低くても、例えば中 1 の授業でも、思考を入れることはできるんですよ。自分の意見なり、自分の発表であれば、そこには必ず思考が生まれているはずなんです。「Why」を大事にする授業というのは、ここにつながっています。

 

−なるほど、意味のある会話をしてはじめて、思考をうながすことができるんですね。本日はどうもありがとうございました。

(取材・原稿 村松 灯)

 

>>前編(授業編)はこちら!!
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東京都立両国高等学校は、前身の東京府立第三中学校の創立から数えて今年で 116 年目を迎える、伝統ある公立校である。2006 年に附属中学校が開校し、併設型中高一貫校となった。「自律自修」の教育方針のもと、6 年間の教育課程が組まれている。

  • 撮影

    山辺 恵理子

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