第11回
2020.05.20
コミュニケーションツールとしての教室空間
後半
前回に引き続き、バージニア州ベッドフォード郡にある公立高校、リバティ高校の教室空間をご紹介します。
前回は英語の先生であるマシュー先生の教室をご覧いただきました(ご参照:http://manabilab.nakahara-lab.net/article/6122)。今回はまず、テクノロジーを使った取り組みも見られた数学の先生の教室をご紹介します。
●数学
数学の授業中の様子
こちらの教室も前回ご紹介したマシュー先生の教室同様、生徒全員が一方向を向く机の配置ではありませんでした。スマートボードがあるためにそこが「前」という雰囲気はありますが、特に生徒全員が先生の方を向いている、という形ではありません。
スマートボードの下には、ユニークな机がありました。表面がホワイトボードのようになっていて、専用のペンを使って机の上に文字や図を書くことができます。
表面がホワイトボードのようになっている机
机を計算用紙代わりにして叱られたことのある私には驚きの発想でした。このホワイトボードがあれば、発言が苦手な生徒が自分の意見を机の上に書いて先生や他の生徒に伝えることもできます。
数学のクラスの最も興味深かった点は授業の最後にありました。授業が終わると、生徒はスマートボードに駆け寄り、今日の授業の評価をします。
What did you think of today’s lesson? (今日の授業はどうだった?)
生徒が該当する顔をタッチするだけで、今日の授業が生徒に伝わったか、伝わっていないかを調査する簡単なアンケートがとれます。この教室ではスマートボードが壁の中心部分にあったため、生徒たちは授業が終わると一度そこへ足を運ばなければいけませんでしたが、他の教室ではこの画面を入り口付近に設置して、帰りがけに流れるようにタッチできる工夫をしている、というお話もありました。
こういったお話の細かいところから、リバティ高校の先生方がいかに「生徒側からアクションを起こしやすい仕掛けを作る」ことにこだわっているかがうかがえます。
また、生徒の居心地の良さやそれぞれが集中できる環境づくりに焦点を当てていることも、お話を伺った先生方に共通していることのようでした。それがよく現れていたのが教室の椅子です。
●いろいろな椅子のオプション
たとえば、数学の教室には、筒のような形をしたカラフルな椅子がいくつかありました。
筒のようなカラフルな椅子
また、他の教室には、写真のよう脚部分にゴムのようなものが取り付けられた椅子がありました。なんとこれは、生徒が貧乏ゆすりをしやすくするためのゴムなのだそうです。貧乏ゆすりをすることによって集中力がアップする生徒がいるために設置したと、担当の先生がお話ししてくださいました。また同じ教室内には体の重心を変えるとグルグル回る椅子、バランスボールなど、様々な椅子のオプションがありました。どれも、生徒が授業に集中できるようにと考えられ、用意されたものです。
日本の教室を思い浮かべると、椅子の後ろ脚に重心を置いてぐらぐらしている生徒は真っ先に「危ない」と注意されそうです。
もしその体勢が生徒にとって最も集中しやすい形なのだとしたら、この教室にあるように、倒れることのない安全な椅子を提供することは生徒にとっても教員側にとっても大変有意義なことのように思えます。
貧乏ゆすり推奨の椅子
重心によってグルグル回る椅子
椅子に選択肢がある、というだけで教室全体の雰囲気が楽しくなるように感じられました。マシュー先生の教室でもそうでしたが、どの椅子に座るのかを生徒自身が選ぶ、ということ、そしてその選択肢を与えてくれる先生の授業を受ける、というのは、生徒にとって意外と大きな意味があるのかもしれません。
続いて見せていただいたのは、理科の授業です。
●理科
ここでは日本の教室でも度々見られる机の配置を見ることができました。
内側にも生徒が座るコの字型の机の配置
日本の教室でよく見られるコの字型と違うのは、机で囲んだ内側にも生徒がいる、というところです。先生の方を向きながら授業を受けるのは少し大変そうですが、生徒間の議論を進めさせるためにはこちらの方がやりやすいのかもしれません。
最後に、教室空間という概念を超えた、リバティ高校の家庭科の取り組みをご紹介します。
●家庭科
家庭科の教室内には「学校」というよりも「家の再現」という表現の方がしっくりくるような設備がありました。
家のキッチンのような家庭科の教室内
ここで調理実習や裁縫の授業も行われるそうですが、赤ちゃんのお世話をする単元では、生徒はこの教室を超え、また学校を超えて課題に取り組みます。単元中、生徒には1人1体の赤ちゃん人形が配られます。この人形はただの人形ではありません。ランダムな時間帯におむつ変え、食事、夜泣き等が発生するプログラムが組み込まれているのです。生徒は学校にいる時間のみならず、家に帰っても赤ちゃんのお世話をしなければいけません。また、赤ちゃんのおむつをちゃんと変えたか、食事を与えたかなどは、先生がプログラム管理者として確認ができるそうです。
学校を案内してくださった英語科のマシュー先生も、生徒がこの家庭科の単元中に赤ちゃんを自分の授業に連れてきて、一緒にあやしたことがある、とのこと。
赤ちゃんの人形を見せてくれた家庭科の先生
家庭科の調理実習が行われる教室内が家のキッチンのような状態にあること、そしてこの赤ちゃんの単元が学校の外にも続くことは、家庭科という教科がいかに私たちの生活そのものであるかを表しているように思います。
学校が学校以外の世界の一部であるということは、当たり前のようで忘れてしまいがちなことではないでしょうか。学校は時に、その他の社会や生活と隔離されていることにその本質があるように語られます。
この記事の前半でご紹介したマシュー先生の教室前のスペースには、教室の中と外をつなぐと同時に、マシュー先生と生徒たちをつなぐ仕組みがありました。マシュー先生と生徒たちのつながりは、教室の中だけで完結するものではありません。
実はこの私の訪問時に、マシュー先生はアシスタントとして、アレクサさんという一人の生徒を紹介してくれました。リバティ高校には日本語の授業はありませんが、アレクサさんは独学で日本語を勉強し、毎年夏にバージニア州で行われる日本語キャンプに、選抜メンバーとして参加しました。そんなアレクサさんを、日本人訪問者の私がリラックスできるよう、当日呼んでくださったのです。
アレクサさんは日本語以外にも韓国文化に興味があり、今は韓国語の習得にも励んでいる、と話していました。リバティ高校の先生方はアレクサさんのように、教室内のみならず、ベッドフォード郡、バージニア州、そしてアメリカから外の世界へつながる道を示す仕掛けを、日々作り上げているのかもしれません。
教室内にいる先生方の目はいつも生徒一人ひとりに向いています。そして、先生方は生徒一人ひとりの目は教室内だけではなく、教室の外、学校の外、それぞれが違う方向に向いているということを知っているのです。
リバティ高校の教室は、先生方が伝えたいことを生徒に伝えるために一番有効な方法は何か、をベースに作られているように感じられました。
これは、コミュニケーションの基本のようにも考えられます。相手に、自分の伝えたいことをどう伝えるか。自分のやり方で伝わらない相手には、相手に伝わる方法を想像し、アプローチを変えていかなければいけません。
コミュニケーション力の重要さが謳われている今は、先生方のコミュニケーション力の高さを教室空間を使って示す絶好のチャンスかもしれません。既存の教室空間から抜け出す先生方の取り組みを、マシュー先生とマナビラボは応援しています!
(取材・文章 湯田 晴子)