マナビラボ

第16回

2016.08.24

まず「ここにいる」っていうことを最大限に肯定したい

重松清 x 中原淳 x 山辺恵理子(Part 4)

ラボ長の中原が、教育に熱意のある著名人の方をお招きして「これからの社会」や「これからの教育」についてざっくばらんに語り合う、「15歳の未来予想図」。

今回のゲストは、作家の重松清先生です!!

 

作家という職業に就きながらも、「言葉にすべては負わせられないって」と語る重松先生。
対話には、言葉でとうとうと伝えることだけでなく、沈黙やしぐさを通して伝わることもある。
言葉などの一部分だけで存在価値を決めるのではなく、まずは「ここにいる」ということをとことん尊重しようというメッセージが印象的です。

 

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「朝教室に来て、先生がいて、生徒がいて、『おはよう』って言えるだけで、『ああ、きょうも来たね』っていうさ。もしかしたら、うちにいる子もいるかもしんないけども、とにかく『ここにいる』ってことを、もっともっと尊重していいような気がする。(…)そこから始めないと、前のめりになって、重心上げちゃうとひっくり返っちゃうから。足元というか、まず『地面をちゃんと踏もうや』っていうね。」

「『迷惑をかける』とか『負ける』、『遅い』、『弱い』とか、そういうものって一回、学校ぐらいが肯定してやんなかったらしんどいよ。本当に。」

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重松清先生をお招きしての「15歳の未来予想図」、ついに完結です!

 

→Part 1: 「『毎日真面目こつこつやってればいいことがあるんだよ』はどこかで言い続けていかないと」

→Part2: 「はみ出すやつが救えないんだったら、ダメじゃん教育って」

→Part 3: 「ひとに迷惑をかけるんは、そげん悪いことですか?」

Part 4: 「まず『ここにいる』っていうことを最大限に肯定したい」

 

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中原: やっぱり若い子からメッセージとかレターとかもらうことありますか。

重松: すごくある。
すごくあって、本当にヘビーでシビアなものも多いし、ただやっぱり、(作品を)読み始める前よりは、読んだ今のほうが楽になってくれてるっていうのは本当に思うし、救いだなと思う。2、3年後というか、中学校2年生のときに不登校になってるって書いた子から、この前手紙きたんだけど、「卒業しました」とかって書いてあるとちょっとうれしいしね。

でもやっぱり小説は、あるいは物語っていうのは、正解がないから。
絶対にたった一つの正解はないし、正解がないから解決しないんだよ。解決しないんだけども、「大丈夫、救われてるから」って思うし。あと、本って早く読むやつは早く読むし、ゆっくり読むやつはゆっくり読んでもいいし、自分のペースで決められるんだよね。時間を。これは本っていいんじゃないのと思うんだよね。

山辺: そうですね。映像との違いですね。

重松: そうそう。

中原: このコーナーって、先生もたくさん見られてるんですけれども、先生に書かれたようなものも結構ありますよね。
その中には、さっき山辺さんが言ってくれたみたいに、何て言うんでしょう、「勧善懲悪じゃない先生の姿」とかもあると思うんですけど、重松先生の目から見て、昔の先生と今の先生、どんなふうに違うのかだったり、あるいは今の先生に一言、もしなんかこういうふうにメッセージを言うとしたらこんなことが言いたいな、みたいなのありますか。

重松: 本当に僕は先生になりたかった人間なんだよね。
うちの家の者、かみさんも、20年ぐらい都立高校で先生やってたし、そのうちの半分が定時制でやってたりしてて、やっぱり教育って、本当に大変だし、尊いものだし、なおかつ本当に「こつこつやってればいいことがある」っていうのを先生自身でももう言い切れなくなっている時代に教える。本当にみんな「優秀」になってほしいんだよね。優秀になってほしいけど、そのために「人を蹴落とせ」とか、「人に勝て」って言い続けたくないじゃない。みんなと仲良く、いろいろあるけれども、ただ、とにかく人を傷つけず、守るものは守ってやっていけば、「スーパースターじゃなくても幸せになれるんだよ」っていうのを、本当に今、言いづらい時代に先生をやってる今の先生に対して、俺は本当に、本当の本当に尊敬と共感といっぱいある。大変だよねっていう時代の部分がいっぱいあってね。

もう僕の同級生なんかも校長先生なんかになってる年頃だから、50歳になるとね。親としても、下の子が二十歳になったから、一応学校でお世話になるPTAとしての立場から卒業したから、一つだけその立場で言わせてもらうと、少なくとも先生の中に理想の先生像があって、「その理想に現実が負けるなよ」と。

俺がいつも思ってたのが、親だって、例えば上の子を育てながら「14歳の子どもと向き合う」のは初めてなんだよ。生まれて初めてなんだよね。子どもが15になっても、生まれて初めてなんだよね。だから親は大変なんだと。「じゃあ先生はどうよ」と。
先生、いつもいつも中1、中2、中3、卒業したらまた1、2、3でずっとやってるじゃんと思われがちだけど、先生自身も年を取っていき、恐らく自分の弟や妹みたいな存在だった生徒が、だんだん自分の子どもと同じぐらいになり、恐らく今これくらいの年になると、自分の子どもよりも若い子を教えなきゃいけない。この「生徒たちとの年齢的な距離感」というのは、本当に一期一会なわけじゃない。

中原: そうですね。常に初めてですよね。

重松: そう。いつも初めてなんだよ。
だから、いつも初めてだし、生徒だって生まれて初めてやってるんだよ、中1を。

山辺: そうですね。

重松: みんな初めてやってんだ、本当。
みんな生まれて初めてやってるんだから、これは少々しんどくても当たり前かもしれないし、正解とか処方箋とか方程式のある世界じゃないから、だからもう。朝教室に来て、先生がいて、生徒がいて、「おはよう」って言えるだけで、「ああ、きょうも来たね」っていうさ。もしかしたら、うちにいる子もいるかもしんないけども、とにかく「ここにいる」ってことを、もっともっと尊重していいような気がする。もちろん教育って、「いる」から「もっと進めなきゃいけない」という、「単に『いる』だけじゃ駄目だ」と。「もっと役に立つ」とか、「もっと幸せになる」っていうけど、まず「ここにいる」っていうことを最大限に肯定したいなと。「いる」と「いる」から、「会える」んだよね。

僕は、教え子を亡くした先生と会うことが多いんだよね。それから、東日本大震災で教え子を亡くした先生がたともお話させてもらったりして、やっぱりいなくなっちゃう悲しみと苦しみって、これはもう凄まじいことなんだから、だからまず、「きょうもいるね」っていうのは、もっと喜んでいいかもしれない。

中原: そういうことですね。

重松: そこから始めないと、前のめりになって、重心上げちゃうとひっくり返っちゃうから、足元というか、まず「地面をちゃんと踏もうや」っていうね。「先生いるし、先生ずっといるし、みんなどっか行くかもしんないけど、ずっといろよ」と。卒業しても、ずっといればいいんだよね。だから、やっぱり「いる」っていうことがすごく大事なことなんじゃないかなっていう気がする。

山辺: 自分はきょう、成績とか全然ダメかもしれないけど、「とりあえず、います」っていうことを尊重してくれる場って、多分学校と家しかないと思うんですよね。

中原: 社会に出ると「パフォーマンス」、「生産性」ってなっちゃうからね。

山辺: 「何も持ってこないんだったら来なくていい」ってなっちゃうので。社会だと。

重松: そう。だから、本当に「いる」を最大限肯定したら、さっきの「迷惑」とか「役に立つ」とかっていう議論もなくなるよ。「いる」ってことでさ。さっきの「迷惑」で思い出したけど、やっぱり日本は昔から「お互いさま」って言葉があったわけだし、「お互いさま」ってでかいと思うしね。昔、たこ八郎さんっていうコメディアンがいたんだけど。

山辺: 知らないです。

中原: 知ってますよ。え、山辺さん知らないの?

重松: その人が死んじゃったあとに本が出て、あの人、少し言語不明瞭な人だったんだけども、その人が生前いつも言ってたのが「迷惑かけてありがとう」なのね。本当は「迷惑かけてごめんなさい」なんだけど、迷惑をかけても自分をここに置いてもらってるから、「迷惑かけてありがとう」っていうね。俺、それってすごいことだと思うのよ。

ところが今、俺たちって「迷惑掛けたんだから、まず『ごめんなさい』でしょう」って言いがちだし、もっと「迷惑かけるな」って言いがちじゃない。でも、「迷惑かけてありがとう」にある、この絶対的な、本当に「迷惑かけてありがとう」って言える、あるいは言ってもらえる関係ってさ。家と学校ってコストパフォーマンス関係ないから。利潤関係ないからね。

中原: そういう意味ではすごく貴重な場ですよね。

重松: うん。

山辺: それに、「迷惑をかけちゃダメだよ」って教えれば教えるほど、先生は自分を追い込みますよね。
自分も完璧で迷惑をかけない人間じゃなきゃいけなくなるので。

中原: なるほど。

重松: だから今本当に、学校を離れて、老人の介護の問題とかで、結局今はおじいさんたちが本当に困ってるのが、「迷惑をかけない」っていうのが自分の誇りだったりしたのが、やっぱり下の世話とかになると、なんかもうそれで自分の中で耐え切れなくなっちゃうみたいなんだ。だから本当に、「迷惑をかける」とか「負ける」、「遅い」、「弱い」とか、そういうものって一回、学校ぐらいが肯定してやんなかったらしんどいよ。本当に。

山辺: そうですね。

中原: なるほどね。逆の方向に行かなきゃいいですけどね。
アクティブラーニングって、昨今、出る言葉なんですけど、この言葉って、そういう授業を長くなさった先生からすると、「昔からやってきたじゃねえか」と思うところもあるんだと思うんです。あと、ちょっとここには「アクティブ病」みたいなものがあって、「とりあえず話しときゃいいんだ」みたいな。そういう意味で言うと、重松先生が描かれてきたような、なんか割り切れない思いだったり、白と黒がはっきりしたものじゃないものというのか、そういうのが結構入り込んできてる気もするんですけれども、学びとコミュニケーションという観点からいくと、先生の目にはどう映ってますか。

重松: 特に子どもとの会話、対話って、「言葉」をやりとりしてるだけじゃないと思うんだよね。
むしろ、「沈黙」のほうをやりとりしてなきゃいけなかったり、あるいは言葉にならないうつむく「しぐさ」とか、自分のつま先で地面を掘っちゃうしぐさとかね。それ全部だと思うんだよね、対話って。

自分が言葉を扱っている人間だから余計思うのが、「言葉に全ては負わせられない」って。特に子どもなんて。まだ十何年で、小学生だったら言葉使い始めてまだ5、6年だぜ。それに「自分の思ったことを正しく筋道立てて言え」なんて、そんな多く求めるなよと。

中原: しかも「ロジカルに」。「よどみなく」(笑)

重松: なんか俺、ふにゃふにゃして、こんなことやって、「だから、なんて言ったらいいか」みたいなね。初対面の赤の他人だったらそれは分からないと思うけど、「先生なら分かるでしょう、あんた毎日会ってるんだから」と思うわけよ。お父さんお母さんもそうだけど、「毎日会ってて言葉にしなきゃ分からんかね」っていう。俺なんかむしろ、理路整然と、とうとうと説明できる子どもがいたら、「こいつは絶対うそついてるな」と俺は思うけどね。

山辺: 私は一つアクティブラーニングで、大学生に関してですけど思うのは、やっぱりアクティブラーニング型の授業っていうのを、高校のときとか大学の1、2年でも受けてるので、プレゼンとかがうまくなるのは確かだと思うんです。だけど、プレゼンがうまくなる分、言葉にし切れない部分をそぎ落とすのがうまくなってて、「もっとあるでしょう」って感じる。「君ならではの言いたかったこと、本当はもっと後ろにあるんじゃないの」と思うけど、そこはきれいになかったことにして発表するっていう。

重松: プレゼンできる範囲で作って、あとは切っちゃうんだよね。

山辺: そうなんですよね。

重松: だから本当に、アクティブって目に見えたり、耳に聞こえたりするだけがアクティブじゃなくて、なんか俺、黙ってるやつにも「アクティブな沈黙」ってあると思うんだよ。頭の中で「どうしよう、どうしよう、どうしよう」とかさ。本当にその沈黙を、言葉になってないから、この時間はゼロの時間なんだと思うか、言葉になってないけどもすごく水面下で実りのあるアクティブをやってるんだよと見るかで、だいぶ変わると思うんだよね。

山辺: そうですね。

中原: 一番やばい事態というのは、ある国のビジネススクールのような状況で、発言をカウントして、「『アクティブさ』は『成績』に結び付きますよ。だからとりあえず思ったことを積極的に言ってほしいし、言うからには数をちゃんとカウントするよ」って世界観だと思うんですよ。そうなっちゃう方向にいくところもあるような気がしてて、少しこれが怖いなと。だからさっき「アクティブ病」って言ったんですけど。

重松: そうそう。
例えばビジネススクールとか、より実践的に、あるいは功利的に考えるんだったらそれもありかもしんないけどね。
少なくとも義務教育って、それよりも「いていい」ってことを植え付けるしかないよ、多分。どう考えても、植物とか動いてないけどすっげえアクティブに光合成とかしてるんだよ。下から水とか取って、大変なことやってんだよね。だから本当に、もちろん「アクティブ」とか「ポジティブ」とか、なんかそういう前向きなところに分類される言葉、さっきの「自由」とかもそうだけど、そういうのは疑ってかかるというか、なるべくその意味を広げていって、「これだってアクティブだよ」っていうふうにしないといけないと思う。「これはアクティブじゃない」「これは違う」とかって言って、狭いところに持っていくと、やっぱりそれは心配だと思うから。今、アクティブラーニングは本当に始まったばかりだから、逆に言えば、「これもありかよ?!」と。「これもアクティブなんだ!」っていうふうに広げておいてあげるっていうのがいいんじゃないのかなと思うんだよね。

中原: 隙間っていうか。

重松: やっぱり工事をするときでも、工事をする前にはダンプカーとかパワーショベルが入る道幅を広げなきゃ駄目なんだよ。その道幅ってやっぱり広いほうがいいわけよ。今はぎりぎりの幅、むしろもっと狭くしたほうが効率的なのかもしれないけど、やっぱり川幅は広いほうがいいですよ。

中原: はい。
それでは時間になりました。きょうは本当にどうもありがとうございました。

重松: ありがとうございました。お粗末でした。

中原: いえいえ。非常に示唆に富むというのか、考えさせられる1時間でした。

山辺: 幸せな1時間でした。

中原: どうもありがとうございました。

重松: 本当にありがとうございました。

山辺: ありがとうございました。

 

(終わり)
  • 取材

    中原 淳

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