マナビラボ

第14回

2016.08.10

はみ出すやつが救えないんだったら
ダメじゃん教育って

重松清 x 中原淳 x 山辺恵理子(Part 2)

ラボ長の中原が、教育に熱意のある著名人の方をお招きして「これからの社会」や「これからの教育」についてざっくばらんに語り合う、「15歳の未来予想図」。

今回のゲストは、作家の重松清先生です!!

 

「ここからあそこまで」が決まっている世界からはみ出てしまうひとに焦点を当てる。
その温かくも鋭い視点から小説を書くようになった経緯について、お話いただきました。

 

***

「事件になったものっていうのは書けるんですよ。マスコミというか、報道で。」

でも、「ちょうど『ナイフ』っていう小説を書いたとき、いじめに遭ってる息子を守るためにナイフを持ち歩いてるお父さんの話なんだけど、そのお父さんがナイフを抜いて、いじめっ子を刺しちゃったら、これはもう事件マターというか、週刊誌マターでいいんだよね。しかし、ナイフ持ってるけども刺さなかった人は、永遠に分かんないわけ。」

「しかしそれを週刊誌では、事件になってないんだから書けないわけ。そうしたら『小説で書くしかないじゃん』と思ったのが、この『ナイフ』っていう小説を書く第一歩だったし、そのとき初めて、自分が小説を書く意味とか、自分の作家としての立ち位置みたいなものが、見えてきた気がする。」

***

ぜひ、8月は引き続き毎週水曜日更新の「15歳の未来予想図」をお楽しみください!

 

→Part 1: 「『毎日真面目こつこつやってればいいことがあるんだよ』はどこかで言い続けていかないと」

Part2: 「はみ出すやつが救えないんだったら、ダメじゃん教育って」

→Part 3: 「ひとに迷惑をかけるんは、そげん悪いことですか?」

→Part 4: 「まず『ここにいる』っていうことを最大限に肯定したい」

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中原: 山辺さんは、どうなの。

山辺: 今のお話でいうと、重松先生の小説って出てくる人たちが大概いいやつなんですよ。悪意がないし。特に先生とか、教育や子育てに携わってる人たちって、大概、いいやつなんですけど。でも私、気になってるのが2つあって。

重松: はい。

中原: お、来ましたね。

山辺: 私が一番大好きなのが、この「サマーキャンプへようこそ」。

重松: ああ、はいはい。

山辺: これ、私が高校1年生のときに、確か『日曜日の夕刊』が出て買って読んだんですけど、ここにもう、ダメな人が出てくるんですよね。
この「リッキー」ですけど、そのサマーキャンプ場でインストラクター的なことをしてる「リッキー」が、石ころとかでストーンアートをやろうって言って子どもたちに描かせるんだけど、主人公の男の子が茶色く塗って「うんこだ」って言ったら、怒るっていう。それで、

「ほら見ろ。リッキーさんの言う自由な発想って、ここからあそこまでが決まってるんじゃないか」

って言うんですよ。
この『リッキー』は、重松先生、最後まで救ってないですよね。

重松:救ってないよ。俺ね、恐らく、悪いやつって登場させてないと思う。
悪意を持ってる人って書いてないと思うのね。

山辺: そうですね。「リッキー」にも悪意はないですね。

重松: 恐らく、お父さんなんかみんなそうなんだけど、あるいは先生も、みんなそうだと思うんだけど、みんな「よかれ」と思ってんの。
で、「よかれ」と思って間違っちゃってんのよ。俺は、そこを小説で書きたいなと思って。
最初から「傷つけてやろう」とか、悪意を持っていく人の間違いとか悪を書くよりも、よかれと思っていて、しかし結果的に良くなってない、間違いであるようなお父さんや先生の姿を書きたくて。
で、僕の一番苦手な人って、「リッキーさん」みたいな人。よかれと思ってるし、「自分が正しい」とも思ってるやつ。

山辺: 絶対に反省しないっていうか(笑)

重松: よかれと思ってもうまくいかなくて、「あれ、俺、間違ってんのかな」って言う人は、僕は小説の中でたくさん書いてきて、何とか物語の最後に応援したいのね。
でも、もう「自分が正しいんだ」と決めつけてる人は、俺、嫌いなんだよ。
だから、こいつ嫌いなんだよ、俺(笑)

山辺: それが聞けて、すごい満足(笑)
私は帰国子女で、中学に入学するときにアメリカから日本に帰ってきて、「なんで日本の先生ってこんなに威張ってるんだろう」と思ったんです。
まず、「起立、礼」をさせて「おはようございます」って生徒に言わせといて、あいさつや返事もしない先生とかを見ていて、「何なんだろう」って思って。
それで「教育を勉強しよう」と思って大学に入って、教師の倫理観っていうのにずっと興味があって、教育の研究をやってきたんです。
それで、今回、この取材というか、重松先生とお会いするっていうことで、「何歳のときにこれ読んだな」とかふり返りながら全部読み返してみたら、高校1年で「サマーキャンプへようこそ」を読んでたってことに気づいて。
やっぱりこれって教師の倫理の基本だと思うんですよね。
私は今、こんなペーペーですけど、一応、教師になりたい大学生たちのための教職の授業を持ってるんですけど、そこでこれ、学生たちに「これ必読」って言って読ませてて。

中原: そうなんだ。

山辺: そうなんです。
それで「これを読んで何とも思わない子は、もう教師目指さない方がいい」って、言ってるんです。この『リッキー』に出会った主人公のいらいらとかむかつきが共感できなかったら、それはもう教師としての、まずセンスはないっていう。
そこは言い切っちゃっていいのか分からないけど(笑)

重松: 恐らく、その一方で今の教師に求められている教師像っていうのは、「もっと自信を持て」とか、「正しさに自信を持て」って言われちゃうんだけど、俺、「人が自信を持ったときほど、ろくなことがない」って気がすんのよ。迷いながら行ってほしいし。

参考までに、この「サマーキャンプにようこそ」の元ネタっていうか、発想は、映画の『アダムス・ファミリー』っているじゃない。
あの、お化けみたいなやつらがね、サマーキャンプに行くんだけど、あいつらは夜の世界が好きだから、全然太陽が似合わないのね。
で、すごく寂しそうなの。あれを見てるとき俺、映画見ながらちょっと泣いちゃったのよ。
このサマーキャンプの中で、『アダムス・ファミリー』が、やっぱり夜と死の世界だから、なじんでいけないわけ。
そのときに俺、『アダムス・ファミリー』って、やっぱアメリカの映画の厳しさだなと思ったし、水木しげる先生の『ゲゲゲの鬼太郎』は、墓場の運動会、夜やるんだよ。
昼間やんなくてもいいんだよね。
墓場の運動会、夜開いてくれるって、優しいよね。
やっぱお化けは夜だもん。

だけど、「運動会っていうのは、五月晴れとか10月の晴れた日の中で健やかにやるものだ」って、まさに「こじからあそこまで」っていうのが決められちゃったら、そこから絶対に出てくんだ、はみ出すやつって。

で、「はみ出すやつが救えないんだったら、ダメじゃん教育って」って、俺はちょっと思うんだよね。

山辺: そうですね。

中原: なるほどね。
でも、よかれと思って正しさを押し付けるって、結構出てくるよね。

重松: これ、絶対あるんだ。みんなそうだと思うよ。

山辺: そう。「リッキー」みたいな人、結構いるんです。

中原: いる。

山辺: 悪意がないし、大概、子ども好きなんですよ。

中原: だから、たち悪いんでしょ(笑)

重松: そうなんだよね。

山辺: そうなんです(笑)

重松: だから、本当「素直でハキハキ」っていう「子どもらしさ」って言われたときに、俺、自分が転校生だったし、吃音があったからうまくしゃべれなかったから、すごく内向的で、いきなり暴力的になったり。「ハキハキ自分の意見を人の目を見て話しましょう」なんてことが一番苦手だったんだよね。
だけどね、俺、自分を振り返って、あるいは子どもたち見てて、「子どもらしさって、なんか本当はもっとひねくれてるよね」っていうふうに思うんだよね。
「リッキーさん」は自分にとっての都合の良い、そんな子どもたちばっかりだったら、自分の「正しさ」をまっとうできるわけよ。

山辺: 「扱いやすさ」みたいな。

重松: うん。
だからよく中学や高校なんか、あるいは小学校でもそうだけど、部活動の顧問の先生やコーチの先生のパワハラめいたものが、たまに起きるじゃないですか。やっぱりそれって、自分の名の下に自分と同じ価値観で、勝利のためにっていって集まってるから、くみしやすいわけだと思うんだよね。

だけどね、やっぱり「ここからあそこまで」の、「ここ」と「あそこ」に入んない子って、いるんだよ。
絶対にいるし、それは紫外線や赤外線と同じように、外線になったら目に見えなくなるわけじゃない。不可視光線になるわけでね。
一人の人間の中でも、はみ出してるときってあると思う。
普段はちゃんと収まってるけど、時々切れちゃうんだよねっていうときね。

なんか、そういうものを救うときに、小説とか映画とかお芝居とかってあるんじゃないのかなと、やっぱり思うんだよね。

中原: そういう多様なものに触れられて、とはいえ世の中って、多分「枠」とか「型」っていうものがあって、そっからはみ出してしまうようなものを結構描かれてきてるってことなんですかね。

重松: うん。
はみ出しきったら、また今度はかっこいいってなる。
だからヤンキーの物語ってやっぱり、一定の需要があるんだよね。「俺、悪かったんだよ」っていう。
よく成人式なんかで、荒れる成人式なんてあるじゃないですか。
俺、いつも思ってんのが、ステージに酔っぱらって上がったり、会場の前で騒いだりするやつも問題だけど、普通におとなしく黙って座ってる二十歳の中にも、みんな別に従順の思いで座ってるわけじゃなくて、屈折したものいっぱいあると思うんだよね。
仲間同士で酒飲んで、ワーッと発散できるんだったら、むしろ彼らは大丈夫ですよ。

むしろ、おとなしくずーっと座っていて、成人式がぶち壊しになっちゃって、なるべくみんなにカツアゲされないようにさっさと帰っちゃうような新成人の中にこそ、見ていかなきゃいけないものってあるんじゃないかなっていう。
僕、だから、小説書く前に、今でもそうだけど、フリーライターでいろんな事件とかの記事を書いてきたから、事件になったものっていうのは書けるんですよ。マスコミというか、報道で。

中原: スポットライトの当たってる場所か、事件になったものは、割と分かりやすい世界ですよね。

重松: 分かりやすいんですよ。

でも、事件になる前のことというと、ちょうど『ナイフ』っていう小説を書いたとき、いじめに遭ってる息子を守るためにナイフを持ち歩いてるお父さんの話なんだけど、そのお父さんがナイフを抜いて、いじめっ子を刺しちゃったら、これはもう事件マターというか、週刊誌マターでいいんだよね。
しかし、ナイフ持ってるけども刺さなかった人は、永遠に分かんないわけ。

山辺: そうですね。

重松: だけど、俺はお父さんの本音って、「ナイフ持ってるよ」と、「持ちたいよ」と。「だけど、俺は刺せないかもしれない」のほうが、俺、ずっとリアルだと思ったのね。
しかしそれを週刊誌では、事件になってないんだから書けないわけ。
「そうしたら小説で書くしかないじゃん」と思ったのが、この『ナイフ』っていう小説を書く第一歩だったし、そのとき初めて、自分が小説を書く意味とか、自分の作家としての立ち位置みたいなものが、見えてきた気がする。

山辺: 私もちょうどその『日曜日の夕刊』や『サマーキャンプへようこそ』を読んで影響を受けてたときって、帰国子女仲間みたいなのが、ちらほらいるんですけど、結構、適応しなかったんですよね。
なんか一時期、帰国子女とか言うと、ハーフとかと同じで、「人生楽そう」みたいなふうに思われてるときもあったんですけど、でも一方で全然適応できなくて不登校なったりとか、日本っていう国に対してアレルギーになってどこでもいいから海外に出なきゃいけないっていうふうになっちゃった子とか、あと、それこそ学校でナイフ振り回しちゃった子とか、周りにいるんですよね。

でも、そういうの見ていても、週刊誌ほどじゃないんですよ、確かに。
でも、「結構生きるの苦しい」っていうときに、「自分みたいなのが載ってる」っていうふうに思いました。

重松: うん。
恐らく俺は、「スネ夫」の小説書いてんだよ。『ドラえもん』でいう、「スネ夫」の。
『ドラえもん』って、「のび太くん」っていう普通の学園熱血不良漫画では登場しない主人公が失敗するんだけど、でもあの中で一番、割食ってる登場人物って、恐らく「スネ夫」なんだよね。
あいつが、俺、一番ストレス感じてると思うよ。

山辺: そうですね(笑)

重松: あの「ジャイアン」に対しても。しかも、うちに帰っても「ドラえもん」はいないんだよ。「静香ちゃん」もいないんだよ。
俺、「スネ夫」のことがすっごい心配なの。本当に。

中原: 初めて聞きましたね(笑)

山辺: しかも、お母さんからのプレッシャーも受けてますよね(笑)

重松: そうそう。結構、厳しいじゃない?
いや、だから、どう考えても一番マイナスのカードを持ってんのは、「スネ夫」なんだよね。
だから、やっぱ俺、「スネ夫を救う小説」っていうのをね。

いじめっ子は、俺は救いたくないけれども、見て見ぬふりをしちゃったやつらに、「それは間違ってんだよ」って言う一方で、「だけど、君も生きるに値するからね」っていうのは言ってやりたくてね。
だから、恐らく、脇役のほうに僕は目がいくんじゃないかな。

 

(Part 3 に続く)
  • 取材

    中原 淳

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