第2回
2015.12.24
「学ぶことを学んでほしい」
為末大 x 中原淳(中編)
100m走日本一からハードルに転向した高校時代
ラボ長の中原が、教育に熱意のある著名人の方をお招きして「これからの社会」や「これからの教育」について、ざっくばらんに語り合います。
第1回目のゲストは、オリンピックに3度の出場を果たした元陸上選手、為末大さん!
前編では高校時代の挫折、決断、そして400mハードルへの転身についてお話しいただきましたが、中編ではオリンピアンとしてトップの座についていた為末さんの引退の決意について伺いました。
中原: (100m走の日本チャンピオンから400mハードルに転向し、そこでチャンピオンだった友人をその座から下ろす経験というのは)高校生とは思えないようなことで。
ちょっと引いて考えると、たとえば今すごい自分の強みを持ってらっしゃる方で、「このままだったら逃げ切れないかもしれない」とかね。
いろいろ考える方って大人に多いと思うんだけど。
あるいは、「自分の強みがどこだったら生きるかな?」みたいなところで悩んでいる方も少なくないと思うんですけど。
そういうことにつながるようなことを、高校時代にやられている気がしますね。
為末: まあ、そうですね。
大きかったのは、「向いてないものがある」っていうね。
「人間には向いているものと向いていないものがあって、向いてないものに一生懸命 労力を費やしてもなんともならないことがある」という感じの経験をしたという。
それまではスポーツの世界って、やっぱり一生懸命やれば何とかなるって世界だったのが、だんだん戦いが激しくなってくると変わってくる。
まあ、大人になるとみんな感じることが、ちょっと前倒しで、18の時に感じたっていうね。
中原: うーん、そうですよね。
僕は、それって大学くらいになってから思ったことで。
やっぱり、どんなに頑張っても 自分に向いていないものをやっていっても、絶対に勝てないんだよね。
為末: うん。
中原: そうすると、自分の土俵をどこに引っ張るかみたいな。
どこに作るかみたいなことって、すごくデカい感じがしますよね。
為末: そのときはどういう領域だったんですか?
教育の領域だったんですか?
中原: 最初は教育とか学習っていう領域だったんですけど。
まあ、結構それ話すと長いし、涙もんなんだけど。笑
いろいろ紆余曲折あってね。
この領域でやっていくよりも自分の「らしさ」だとか自分にしかできないことって、もうちょっと違うところでね。価値を発揮できるんじゃないかみたいに。結構悩みましたけどね。
でもまあ、決めるの結構時間かかりますよね。
為末: そうですね。
僕は始めたいいものの、そのあとでやっぱり悩みましたね。
オリンピックに出たくらいのときにようやく「これでよかったな」っていう気分になりましたけど。
中原: 3回ね、出られてて…。
為末: そうですね。
その一発目のときに、ようやく「100だったら来れてなかったな」 って思うと、「うーん、良かったな」っていう気になって。
中原: へえ、なるほどね。いろいろありますね。
ここで、ちょっと話を変えていきたいんだけれども。
現役時代、素晴らしいご活躍をなさって、そしてやめられますよね。それって、どんなきっかけでね…。
為末: やめるときですか?
中原: 今までやってきた競技人生20年くらいあるんでしょ?
為末: そうですね、ええ。
中原: それをやめるっていうことをご決断なさったとき、なにがきっかけだったんですか?
為末: 難しいんですけど、「ここ」っていうのをもし言うとしたら…。
そもそもハードルをやり始めて、いろいろやってきたんですけど、世界になかなか勝負できなかったときに、どうも、なんていうんでしょう。
体がちっちゃいこともあって、「スタートしてから1台目のハードルに入るスピートが速い」っていうことに気づいたんですね。
中原: なるほど。スタートしてから一台目までが速い。
為末: ハードルって、スピード曲線でいくとこう出だしで上がって、後は落ちてくだけなんですよ。
途中で上昇するってことは、ほとんどないんですよね。
だから最初の最高速が速い方が全体が速くなるって傾向があって。
だから、この初速をとにかく速くしないことには何ともならないだろっていうのが一番最初のアイディアで…。
中原: じゃあ、ぴょこぴょこぴょこって行って最初に飛ぶまでが勝負だってことですか?
為末: そうですね。
そのスピードは結構全体に関わってくる。
あとは、ハードルとハードルの間に35メートルあって、そこに対して足をずっと合わせていくんですね。
だから変に頑張ってスピードを出そうとすると、歩幅が狂う。
ハードル飛ぶときにずれて、結局はハードルを飛ぶときには遠すぎるとか近すぎるってなるんで、1台目を超えた後はもうだいだい足を置く場所は決まっているんですよね。
「いつものリズムを守る」 みたいなレースになるんで。
だから、1台目までのスピードはなるべく速く入って、あとはそのスピードをどう維持するか、みたいな。
それで、1台目のハードルを速く入るっていうのをやってたんですけど、それが世界で一番速かった時期があったんですね。
23とか4、5くらいのときですけど。
これが、思いっきり走っているのにタイムが出なくなってきたときに「これがダメって言われたら、ああもう」って。
結局、それだけで勝負していたようなところがあったんで、それがダメって言われたら「ああ、もうダメなんだろうな」っていうのを感じて。
中原: それは何歳くらいのときですか?
為末: 31、2ですね。
中原: 31、2の頃に、一番最初のハードルに入るスピードが遅くなってきた。
為末: 遅くなったんですね、ええ。
でも、遅くなっただけならまだしも、一番ショックを受けたのは、速いと思って走ったのに遅かったレースがあったんですよ。
それってもう、なんていうのかな。
アスリートにとってはもう致命的なんですよね。
自分の基準と「実」がズレはじめてて、「これはもう終わりが近づいているな」という感じだったんですけどね。
中原: それは自分で…すみません、まったく僕ね、音痴なんでわからないんだけど。
自分で描いている「こう走ってるだろうな」っていうイメージとタイムがズレるという感じなんですか?
為末: そうですね。
自分のイメージでは遅いときもあったんですけど、それは「あ、これ遅いな」と思ってタイムを見たら「やっぱり遅かった」という感じなんですけど、このレースでは「結構いいじゃん」と思って走ったら、遅かったんですよ。
それってなんていうのかな…
中原: やばい?
為末: そうですね。
こう、柔道の師範とかがこうやって持ってパッと技を出そうとした瞬間に「ちょっといつもと違う」みたいな感じで「あ、これはもう、このあと衰えていくな」みたいことを感じるような…わかんないですけどね。笑
でも、やっぱり感覚がズレたっていうのが結構ショックだったんですよね。
中原: それって、すぐに決断できるものなんですか?
為末: それから34で引退したので、そのあと2年ぐらい。
まあ、とはいえ自分の中で「いや、そんなことないんじゃないか」って。「まあ、もうちょっと厳しいけど、いろいろやりようがあるし。もう一発勝負できるんじゃないか」って、いろいろ工夫するんですけど、結局そのまま。
基本的には実力は落ちていって。
34がロンドンの年だったんで、ロンドンオリンピックに出れても出れなくても引退っていうのは決めてたんですけど、結局予選で敗退しちゃって。国内のですね。
それで引退という感じですね。
中原: それは誰かにやられちゃった、ということなんですか?
為末: あ、そうですね。若い選手が出てきてですね。
中原: 常にやっぱり追われてるものなんですか?
為末: そうですね。
あとは、なんていうんでしょうね。
実際に順位もはっきり決まるんですけど、やっぱり競技場に入って、ウォームアップとかあとは競技場の中に実際にバンと入るときに「皆の注目が集まっている場所」っていうのがあるんですよ。
そういうのを肌で感じて。
中原: 何か見えるの?
為末: うーん、なんか。どういうんでしょうね。
今まではひしひしと「僕が中心だ」と思っていたのが、アメリカに行って2年くらいして日本に戻ってきた、若い子、っていうか今も現役なんですけどね。彼がすごくなってきていて。
なんかちょっと、中心が2つになってる感じだったんですよね。
中原: 「あれ?」っと。(笑)
為末: そうそう。
それで次の試合とかで勝てなくなると、もう彼の方に中心が移っていて。
1回でもチャンピオンだったりすると
やっぱりそれをすごい肌で感じるんですよね。
中原: なるほど
為末: みたいなことを結構、引退間際は感じてましたね。
中原: なるほど。なるほど。いや、厳しい世界ですね。
それで、じゃあ現役を引退なさって。
為末: そうですね。
中原: 普通、もう僕はちょっとあまりに音痴であれなんだけど
競技をやっている方がね。引退なさったら、まあスポーツ解説とかをね。やるのかな、なんて思ったんだけど。
ちょっと為末さん変わってますよね。
為末: そうですね、ええ。
中原: 今はどんな活動をなさってるんですか?今は。
為末: 一番大きいのはたぶん2つあって、
1つは会社をやってるんですね。
なにかスポーツスポーツしないで、だけどスポーツが持っている価値を社会にうまく還元できないかっていうことを考えています。
例えば、子どもたちのかけっこ教室をやったりしてるんですけど。走り方を教えるんですけど、でも、「走る」ってより「習得する」っていうことをつかむってことを教えたい、っていう感じで。
「学ぶことを学んでほしい」みたいな。
そういうことをやるには、実はかけっこってよくて、サッカーだと、ずっと隣の子との競争なんですよね。
本当は学んでいても、実感しにくいんですけど、走るとタイムが残るので、昨日の自分より速くなっているねとか。
そういうのは実感しやすくて。
中原: ああ、見えやすいですよね?たしかにね。
為末: だから、そういうのをやったり。
あと、会社で企業と一緒に、たとえばパラリンピアンが持っているイメージとか、社会に対するメッセージみたいなものをどうやったら社会にうまく生かしていけるか?とか、そんな感じのことをやったりしています。
もう1個は社団法人で、これは選手のキャリアの支援っていうか選手が自立していけるようなことを 支援するというのをやっているんですけど。
まあ、この2つですかね。
中原: なるほど。
今までのご経験っていうのを中心にしてそれに付帯するようないろんな活動をなさっている、と。
(後編へ続く)
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取材
中原 淳
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撮影
松尾 駿