第4回
2016.01.06
「なぜ、大学に行くのか?」
今村久美 x 中原淳(前編)
進学の理由を問い続けた高校生活後半
ラボ長の中原が、教育に熱意のある著名人の方をお招きして「これからの社会」や「これからの教育」について、ざっくばらんに語り合います。
2016年初のゲストは、NPOカタリバの代表理事、今村久美さん!
前編の今回は、周りに大学卒業者・進学者が多くない中で、「なぜ、大学にいくのか?」と問い続けた高校生活後半と、その経験が土台となって大学在籍中に立ち上げたNPOカタリバのコンセプトについて伺いました。
中原: 15歳の未来予想図。第2回目になりますね。
今日は高校生を相手にですね、キャリア教育を中心に、いろいろな教育関係のプロジェクトを実施なさっている教育NPOのカタリバの代表理事の今村久美さんにお越しいただきました。
どうもありがとうございます。
今村: よろしくお願いします。
中原: じゃあ、いろいろと今村さんにお聞きしたいことがあるんですけど。
この「15歳の未来予想図」は、いまの高校生がね。どんな社会で生きていくのか、働いていくのか、ということを考えていくんですけど。
今村: 難しいですね。
中原: まず、その本丸にいく前に。
今村さん自身はどういう高校時代をお過ごしになったのか、ということを少し伺っていきたいなと思うんですけれども。
どんな高校時代でしたか?
今村: はい。そうですね。
私がそもそも…
中原: 岐阜でしたっけ?
今村: はい、私が在籍していた高校が岐阜県の高山市の中の、当時まだ荒れていた……荒れていたと言いますか、子どもたちが荒れていた時代。
今はすごくみんな大人しくなってきていると言われているんですけど、私たちは「高校生たちが荒れていた時代」の最後、末裔みたいな世代なんです。
私は、地域の中のトップ校から多様な高校の子たちまで、いろんな高校を落ちた子たちがみんな集まる私立高校に行っていたんですね。
中原: へえ、そうですか。
今村: その中の、進学を希望する子たちのためのクラスというところに通っていました。基本的には、勉強することもそんなに得意な方ではなかったんですけど…。
中原: そうなの?(笑)
今村: ええ、でも楽しく遊んでいたという感じですね。
中原: そうですか。
授業とかは、コリコリと勉強しながらやっていたんですか?
今村: うーん。まあ厳しい学校だったので、多少はやっていましたけど、そんなに……いわゆる「進学校」みたいな学校とは違うんじゃないかな、と思いますね。
中原: 高校っていうと、受験とかそういう手のことも結構絡んでくるんだけれども、受験はどうでした?
今村: 私が在籍していた高校は、先生方がめちゃくちゃ一生懸命で。大学に入学できるように必死でサポートしてくれる学校だったんですけど…
中原: おお、いいね。
今村: もう寝る間も惜しんで、朝7時から夜12時までくらい(先生がサポートしてくれる)。本当にそういう学校だったんですね、ありがたいことに。
その中でも、これはあまりよくない事例なんですけど、私は途中で受験を一般入試いくことを諦めたんですね。
というのは、私の親戚中を見渡しても、大卒者っていなかったんですよ。だから、うちの家族にとっては、大学生になるんだったら聞いたことのある大学じゃないと許さないという…。
中原: (笑)うちもそれに近いよ。
今村: あ、そうですか。
なので、聞いたことのある大学だったら行ってもええけど、そういうところに行かないんだったら地元で銀行とかに就職できたらいいよねっていう感じ。
中原: なんのために行くんだ?みたいなね。
今村: そうそうそう。(笑)
そうだったので、「聞いたことのある大学」に受かるというだけのミッションを持っていたんですよね。
それで対策を考えたときに、当時、慶應大学の湘南藤沢キャンパスがAO入試を初めて8年目だったんです。志望理由書を書いて入試に挑むというものだったので、「志望理由を考える」ということに半年……2年生の後半くらいからずっと時間を費やしました。
中原: それって、どうやって考えたんですか?
今村: 考えるっていうよりは、実績を積んで、何かこう志望理由書の横の実績リストに書くことを増やさなきゃいけないので、まず「公募ガイド」を買ってきてですね。
中原: うん。(笑)
今村: ああいうのって「新聞に載っている有名高校生」みたいな人じゃないと受からないのかな、と思ったので、自分を取材してもらうのは無理だけど、自分が新聞に載りに行くことはできるだろうと思って。(笑)
それで「公募ガイド」を買ってきて、その中の一番ライトな「俳句コンテスト」から「エッセイ・コンテスト」とか、いろんなものを書いては応募して賞金を稼ぐっていうことをしていました。
作文を書くとか、それを通じて社会のことを考える機会を得ていたな、と今考えると思います。
中原: その志望理由書っていうのは、自分で書いていくの?
僕は書いたことないからわからないんだけど。
今村: ああ、そうですね。
自分で最初書くんですけど、やっぱりカウンターパートナーになってくれる先生がいてくれたので、メンターになってくれて、自分が書いたものをもとにリフレクションしてくれて、また新しいものを書いて、ということを繰り返すような作業でした。私にとっては。
まあ、世の中の高校生全部がそういうわけではなくて、私はとても恵まれていたなと思うんですけど。
中原: じゃあ、経験を掘り起こしたり語ったりするっていうところから入っているのかな。
今村: そうですね。
大学生になって何を学びたいのか、とか、何を研究したいのかということを問われると、それまで「なんで高校に入るのか?」なんて聞かれたことがなかったわけなので(ひとりではよくわからない)。(でも)「なんで大学に行くのか?」ということを高校2年生くらいから問うてくれる先生がいてくれたんですよね。
なので、それは一生懸命考えました。「自分には学びたいことがまだ別にない」とか、そういうことを早期のうちに気づけたことは良かったなと思っていますね。
中原: 「なんで?」ってあまり考えないですよね。
今村: そうですよね。
中原: 僕なんて、ほんと考えない高校生だったからな。
今村: いやいや、私も。
中原: 「だって周りが行くから」みたいな。
今村: そうそうそうそう。
そうだったんですけど、私の場合は周りが大学に行かない学校だったので、かえってよかったという面もあるかもしれないです。自立して就職して働いていく人も多くて、進学するとしても2年制の短期大学とか、専門学校という子もすごく多かった中で、「なんで4年間も遊びに行くんだ?」というような。大卒者ばっかりがいるわけではない地域だったので。
中原: そうか。
それで、大学はめでたく慶應に入られて。
今村: はい。落ちたんですけど2回目で受かりました。
中原: あ、ほんと。
まあ、紆余曲折あるよね。(笑)
今村: 紆余曲折あって、はい。
中原: NPOカタリバは、何年生のときにどういう風に立ち上げたんでしたっけ?
今村: 2001年に大学4年生だったんですけど、コンセプトをつくるところからやって、立ち上げました。
中原: どんなコンセプトなんですか?
今村: 「高校生と社会をつなぐ」というコンセプトを初めにつくったんですね。高校生が高校の中だけにいるのではなくて、もっと剥き出しになって社会と接続できないか、と。
そうすることで、自分に足りない知識の欠乏感とかに気づいたり、自分が行きたいなと思う方向性を、教科の中に見つけられない子も、教科の外の社会から見つけられるのではないか、という思いもあったので、「高校生と社会をつなぐ」、「教室に社会を運ぶ」とか、そういうコンセプトをつくりました。
その手段として、「ナナメの関係」を活用できないかって考えて、それをもう一つ重要なコンセプトにしました。
中原: 「ナナメの関係」ってことは、高校生から見た場合に斜めっていうことですよね?
今村: そうですね。
高校生にとっての、利害関係のある大人や同級生っていう「縦の関係」や「横の関係」ではなくて。「大人」っていうのは、ごめんなさい、「指導者」ですね。
「指導者」に当たる先生や親という存在と自分との関係である「縦の関係」と、「横の関係」である同級生や友人という同調圧力の湧きやすいような関係性ではない、赤の他人で、自分よりもちょっと先に進んでいて、しかもポジティブな、前向きさを持っているナナメの関係と、高校生たちが出会うことが自分たちの未来を思い描く一つの突破口になるのではないか、と。それを「対話」でつなぐことができないか、と思ってつくったのがカタリバです。
中原: へえ。それってさっきのAOに似てるのかね?
今村: やっぱり、自分の原体験から(来ています)。
やっぱり私にとってはメンターになってくれた先生が「なんで大学に行くという進路を選ぶのか?」ということを問うてくれたことが、すごく自分にとって語りの機会になったんですね。自分が思っていることを人に伝える、言葉にならない言葉を紡ぐという経験にはなっていますし、それはすごくよい機会だったな、と思っています。
中原: いまカタリバの事業って、たぶん何千人単位?年間だったら。
どのくらいいるのかな。
今村: そうですね。いまはカタリバの授業を受けている人は、だいたい1年間で2万人くらいいるのかな、と思います。
中原: 2万人?
今村: はい。
中原: 大学生たちが高校に行って、自分のキャリアとか、これからどうやって生きていくのか、みたいなことを語るということなんですか?
今村: 大学生であったり、愛媛県の宇和島市というところでは、もう商店街の方々が語るというパターンもあったり、例えばJC(日本青年会議所)の方々がチームを組んで、JCの予算の使い方って例年は時計台をつくったり社会貢献活動として記念品を作ることが多いんですけど、「今年はカタリバをやる」っていうことを決めてくれるJCの方もいらして、いくつかそういうパターンもありました。
いろいろ大人が語るっていう…
中原: でも僕、高校のとき全然考えてなかったね。
今村: いいんです、そこまで…
中原: たぶん、考えていない人の方がマジョリティーだと思いますよ。高校生とか……いや、でも今は変わってるのかな?
今村: どうでしょうね。まあ考えていないと思いますけど、私も正直、「決めなきゃいけないのか?」というと決めなくてもいいと思っていて。
中原: ああ。
今村: どちらかというと、主体性がある状態で大学1年生になれた方がいいのかな、とは思っているんですよね。
中原: あとさ。僕、自分が大学に入ったときにすごく思ったことが1個あってね。ワン・ワード(一言)で言うと、「世の中ってモノサシがたくさんあるな」と思ったんですよ。
今村: はい、はい。
中原: 中学校や高校にいるときって、言っても「学力」とか「体力」とか、そういうモノサシしかなくてね。
そのモノサシの上で「俺って何番なんや」とか「どの辺かな?」ってことを結構気にしてたりしたんですけど、大学に入って、まあそれもあるっちゃあるんですけど、例えば「なんとかが好き」とかさ。なんていうのかな。いろんな人の関心に応じてモノサシがたくさんあって。
今村: はい。
中原: そういう「モノサシ、たくさんあるよ」っていうのを知るだけでもね。随分高校のときって違ったのかな、なんて今になったら思いますね。40歳になったらね。(笑)
今村: (笑)それはそうかもしれないですね。
(中編に続く)
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取材
中原 淳
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撮影
松尾 駿