第7回
2016.03.09
新しい技術の誕生で
「全員が素人」になったとき
船に飛び乗って学び続けられるか?
宮坂学 x 中原淳(前編)
ラボ長の中原が、教育に熱意のある著名人の方をお招きして「これからの社会」や「これからの教育」について、ざっくばらんに語り合います。
今回のゲストは、ヤフー株式会社 代表取締役社長の、宮坂学社長です!
ご自身のキャリアのスタートと、「大人になっても学び続ける姿勢」について語ってくださいました。
中原: 皆さん、こんにちは。
宮坂: こんにちは。
中原: 15歳の未来予想図になります。
いま15歳の高校生が今後5年、10年たって、どのような社会を生きたり働いたりしていくのか。そのようなことを識者の皆さんと話していくセッションになります。
きょうはヤフーの代表取締役社長の宮坂さんにお越しいただきました。
どうもありがとうございます。
宮坂: どうもよろしくお願いいたします。
中原: 早速、宮坂さん、始めていきたいのですが。
まずヤフーということで、IT企業ですが、宮坂さん自身が教育機関(大学)を出られてから、なぜITの仕事を始められたのか、この歴史というかプロセスについてお話をいただけたらなと思います。
宮坂: 大学を出て最初に入ったのはIT(ヤフー)というよりも、雑誌とか広告、パンフレットを作るような会社でした。
※1991年3月大学卒業。4月に株式会社ユー・ピー・ユー入社。
中原: メディアですかね。
宮坂: そうですね。大きくいうとメディア寄りでしたね。
そこでコンピューター(パーソナル・コンピュータ)を使って、いろいろな雑誌を作ってみたり。
当時わりとそういうのが流行りつつあったのですよね。
中原: 何年ですか?
宮坂: 92年じゃないですかね。
中原: まだWindows 95とかそういうのは出ていなくて。
宮坂: そうですね。当時はまだ、Appleのマッキントッシュという(パーソナルコンピュータが)のがあったのですが、そういうものを使って雑誌とかを作るのがすごく面白いっていうのをよく見てました。最初そういうところから入ったんですよね。
中原: その当時ってDTPって言葉あったんですか。
宮坂: そうですね、DTPですね。
中原: あったんですか。
宮坂: ありました。
中原: じゃあそういうことを、ちょっとなさってたと。
宮坂: そうですね。
中原: それがきっかけで、それからIT企業に入っていくんですか?
それとも、どういう転職をなさったんですか。
宮坂: DTPをしばらくやっていたところ、景気がどんどん悪くなって。そのとき、ちょうどバブルがはじけて、どんどん(景気が)悪くなっていく時期だったんですけど。最初になくなるのが企業の広告費とか宣伝費なんですよね。そうするとDTPの仕事はどんどんなくなっていくんですよ。
だから、自分自身で生きていくために何か技術を身に付けないといけないと思って、当時インターネットをちょっとずつ耳にする機会があり、インターネットの勉強を始めた、というのが実はきっかけでした。
中原: んー、なるほどね。
まだ当時というと、僕は94年に大学入っているんですけど、まだこれ(インターネット)って本当に爆発するかな?みたいな。
確信ありました?(笑)
宮坂: いや、あまりなかったですね。
ただ、その前からインターネットの前にパソコン通信というのがあって。
中原: あ、パソ通ですね。
宮坂: そうですね。パソ通自体は非常に面白くて、楽しくてね。
仕事に役立つっていうのもありましたけど、むしろ面白さで結構やっていて。
ネットワークで人と人が話したりすることってすごく面白いなっていうのを実感していました。
半分は、生きていくために技術を身に付けなければという部分と、純粋に使ってて面白いな(という部分)、そういうのが混ざった感じから入っていきましたね。
中原: パソコン通信はどのぐらいのときからやってたんですか?
宮坂: パソコン通信は結構早くて、91、92年ぐらいからしてたんじゃないですかね。
中原: 「インターネット前夜」って感じですよね。
宮坂: そうですね。まだインターネットってほとんど当時は言われてなかったですね。
95年ぐらいからですかね。Windows 95が出た前後から世間でようやく言われるようになった、みたいなところですかね。
中原: そうですね。当時確かにインターネットって、まだまだ技術者のものって感じだったかもしれませんね。
宮坂: そうですね。
中原: その後は、すぐにヤフーに入られたんですか?
宮坂: (前職で)インターネットの仕事はちょっとやってたんですけど、やっていくとどんどん面白いですし、やっぱり大きな技術の変化があるときってすごく面白いタイミングで。
今もヤフーの中で割とそういうことが起きるんですけど。新しい技術が急に出てくるときって、新しい技術を覚えた人がその会社の中で一番詳しい人になるんですよね。そうするといろいろと重宝されて、どんな大きな仕事も全部おまえがやれ、というふうになるんですよ。これがいったん確立された技術の中だと、やっぱりその道20年の人に勝てないわけですよね。
でもインターネットって当時全員素人だったわけですよ。
多分、日本全体が素人なんですよね。もう素人しかいない状態で、1週間でもまじめに勉強すれば「おまえよく知ってるな」みたいな世界ですよね。
中原: じゃあ「1週間で下克上」ですね(笑)
宮坂: そうですね。本当にそういう下克上でしたよ。
だからやればやるだけチャンスが舞い込んでくるわけですよ。
そういうすごく面白いタイミングだったので、前の会社でもインターネットの仕事は「じゃあ取りあえず宮坂にやらすか」みたいな感じでどんどん来るわけですよね。そうやっていく中でだんだん仕事としても面白くなってきて、やるんだったらもうちょっと大きい所でインターネット専門でやってみたいなと思って(ヤフーに)移ったわけですね。
中原: かなりじゃあ、のめり込んでいったって感じに近いんですか。
宮坂: うん、それはもう面白くてしょうがなかったですね。
中原: 僕すごく覚えてるのは、自分が大学時代に「モザイク」というブラウザーが出てて、これでホームページを自分で書いてみたいなと思って、書き方みたいなものがどこかに載ってないかなと書店に行ったら、当時まだ英語のマニュアルみたいなのしかなかった時代でしたよね。
そういう意味でいうと、ちょっと勉強したらすぐに技術を身に付けられたっていうのは、人より先んじることができたのはすごい面白いですよね。
宮坂: そうですね。たまに、そういう世の中の技術が全部ガラッと変わるときってあると思うんですよね。
そういうときに新しい技術を身に付けておくと、「下克上」のお話しされましたけど、一回リセットされるわけですよ。
中原: リセットボタンをピッみたいなね。
宮坂: その前のスキルとか経験っていうものが全く役に立たないわけですよね。
「それはそれとしていいんだけど、でもそれインターネットの専門じゃないよね、君」みたいな感じで。それまではDTPで大ベテランだった人も、インターネットの前にいくと新卒入社1、2年目の人と全く同じラインに立つわけですよ。
これがものすごく面白いタイミングで、そういうときっていうのは本当に大きな変化が出てきますよね。
中原: そのときって、ちょっと本論からそれるかもしれないですけど、新しく生まれたものを「脅威」って感じる人もいませんか。
宮坂: ああ、そうですね。
中原: 飛び出せばすぐ先んじることができるんだけど、なんかこう殻にこもって殻にこもってって人もいるのかな、なんて思いますけどね。
宮坂: そうですね。僕の尊敬する経営者の人とかはよく「メイフラワー号に乗るか乗らないか」って言い方をされる方がいるんですよ。
当時イギリスからアメリカに行くじゃないですか。そのときにきっとあったと思うんですよね。「アメリカのほうに行くと土地がいっぱいあって、すごく面白いことがあるよ」っていうときに、「でもそんなの船に乗って沈んだらどうするの」っていう人と、「でも取りあえず乗ったほうがいいんじゃないか」って取りあえず何も考えず飛び乗る人がいて(笑)。
やっぱり人によって、メイフラワー号に乗る人と、乗るのがちょっと苦手な人っていうのはあるかもしれないですね。
中原: で、乗っちゃったと(笑)
宮坂: そうですね。僕の場合はそのとき乗りましたね。
中原: 見事ですね。ヤフーに入られてからは、どんな事業をなさってたんですか。
宮坂: ヤフーに入ってからは、最初は広告の営業の仕事もやりましたし、あとはインターネットのページを作るようなお仕事をしたり、いろんなことやらしてもらいましたね。
中原: そうすると、技術の進展に応じて常に勉強していきながらいろんな事業なさったってことですね。
宮坂: そうですね。技術のことももちろん多少は勉強しますけど。
例えば、ヤフーでニュースのサービスを作ろうと思うと、ニュースの世界とか報道の世界はどうなってるんだろう、という勉強をしないといけないし。ヤフーで例えば、ヤフー・スポーツというサービスでNBAの情報をやるとなると、当然NBAの仕組みを勉強しなきゃいけないで、NBAのルールブックから買ってきて。どういうふうに物事が決まってるのかが分からないと仕事できないじゃないですか。
そういう意味で、技術の仕事の勉強もありますし、業界知識から何からなんですけど、そういうのもやりますね。
中原: 多分これ見ていただいてる高校生の15歳の目から見たら、大人ってもう教育機関を出ちゃってるから学ぶってところをあんまり思わないんじゃないかなと思うんですけど、それとはじゃあちょっと違うってことですかね。
宮坂: やっぱりそんなことはないですね。
学ばなくても何とかなる部分もあるんですけど、やっぱり学び続けないと結構厳しいと思いますね。
中原: 業界の知識とか技術についていかなきゃなんないってことなんでしょうね。
宮坂: そうですね。技術の知識と業界、業務の知識っていうのは常に学び続けないといけないと思いますね。
(中編へ続く)
-
取材
中原 淳
-
撮影
松尾 駿